2007年8月21日火曜日

ジェームスの場合

アメリカの離婚率は現在の統計で52%とあるテレビで発表していた。 私の周りで中年を過ぎても離婚せずに連れ添った夫婦を探すのはむずかしい。正直な話私と主人にしても良くまあ此処まで持ったものだと感心する。ひとえに私の努力の賜物と自負しているが多分連れ合いも、こんなにも波乱万丈、虐待の人生、殺されもせず良く生き延びたと自分をいとおしんでいることだろう。 

もう成長した息子と娘にある晩、親として働くことだけは一生懸命したけれど残念なことに財政的豊かな子供時代を二人に与えてあげられなかったことは残念に想うと話したことがある。これは私の正直な気持ちなのだ。
子供には生まれてくる前に親を選ぶチャンスは与えられない。子供達だって他所の両親の元に育っていれば又違う人生もあるかもしれない。しかし、秋夫君は嬉しいことを言ってくれた。  「自分の両親が離婚しないでいてくれたことだけで十分に感謝しています。今の時代に産みの親に育てられるなんて幸せなことですヨ。それ以上は何も要りません」これは以外な答えだった。

二人の子供の友人の六割は家庭崩壊の子供達だが、彼等は表面上は決して不幸を表に出さない。 彼等の間でも自分の環境を愚痴らない。隠すこともせず、いとも気楽な様子で自分の家庭環境を話題にする。暗くない。週末遊ぼうと誘っても 「今週末は出て行った親父の家へ行く週だから遊べない」そんな返事が戻るのもさして珍しいことではない。 ただ生き延びるだけである。ボヤイテも嘆いても子供達には何も出来ない。 両親の離婚に子供の思惑などなんの助けにもならない。 子供が別れないでくれとせがんで取りやめてくれる夫婦なら最初からそれほどの問題はない。 
裁判所で離婚と決定したその時から十八歳未満であるなら子供達が両親のどちらを選ぶからあまり権利がない。全てが離婚裁判の決定に従う。 
別れて行った片親に逢う日は、 週日、週末、学校の夏休み、祭日全て裁判所に定めらたとうりになる。そこには子供の意思は入らない。

母親側に引き取られてもいつ母親が次の男性を連れてくるか解らない。いずれ母親の再婚の日が来ても新しい父親が子供を連れて来るかもしれない。自分達だって連れ子になるのだ。まあ仲良くやるよりしょうがないだろう。寂しさに耐えて週末に産みの父親の住む家へ行けば父親にも新しい女性の姿が見える。あわよくば彼女には過去の結婚の連れ子が居ないことを望むだけだ。

ジェームスも秋夫と同じ高校生。 父親が小さな妹とジェームスを置いて一人家を出て行ってからもう久しい。 先日は学校の夏休中の夜のイベントが校庭で開かれたが、約束した父親は新しい彼女を連れて参加した。それを予測していた母親も競うように新しいボーイフレンドに参加を呼びかけた。 二組の嬉しげに寄り添うカップルの両親を眺めジェームスはニヤニヤするだけ。まだ若い両親は子供の思惑よりも彼等の気持ちが優先する。彼の母親だってまだ四十代。 これからの長い人生を思えばやはり寡婦のような人生は歩みたくないであろう。もう一花もふた花も咲かせてみたいのは女の性。

ジェームスは授業中我慢したが、どうも腹の具合が良くない。今朝食べたものが良くなかったらしい。 学校の医務室で少し休ませてもらったが少しも良くならない。こんなところで寝るより家へ帰ろうと決め教師から承諾をもらった。 この時間は母親が仕事だし、スクールバスは下校時まで動かない。 仕方ない彼は三十分の道のりを痛い腹を抱えて歩いて帰った。やっとたどり着いた自宅の前に母親の車が駐車してある。そして、もう一台見知らぬトラックが止まっている。冗談じゃないとジェームスは思った。 世慣れた彼は勢い自分の鍵を使ってドアを開けるような無粋なことはしない。子供だって嫌な場面は見たくない。 呼び鈴を押した。何度目かの呼び鈴で母親もドアの向こう側で返事をした。「何方?」 
医務室のベットで休む代わりに自分のベットを願ったジェームスは、炎天下のドアの外で母親がドアを開けてくれるまで三十分待たされた。

夏休みも終わりの日曜日、ジェームスの妹は昨晩から友達の家でのスランバーパーテイー。彼女は まず夕方にならなければ帰らない。 母親がジェームスに映画に行って良いと言ってくれた。なんと映画代、パプコーン代もくれるという。 昨日からつづく雨が少し気になったが、暫くぶりの映画に彼はその提案に乗った。母親が運転して映画館まで来た時も降り止まない雨に、映画が終わったら電話をするから必ず迎えに来てよと念を押して建物の中へ向かった。
映画館は入場券1枚で上手にすれば幾つかの映画が観られる。わずかの時間差で部屋を違えて上映しているから、一旦入場すれば切符をしらべられることはない。 どのドアに入って行こうが自由だ。 ジェームスも最初から二つ三つの映画を観るつもりで来ている。 しかし、雨音が激しくなり館内に居てもそれが聞えるようになると観客も一人二人と帰る様子。館内放送が始まり、映画館の従業員の帰宅安全の為に映画の続行を止めると放送がありジェームスも他の観客と外へ出された。

早速ジェームスも母親に電話をして迎えに来てもらよう頼む。
彼女は言下に言った。家の近辺も水かさが増し運転する車が危険のため少し水が引くまで待つように。 サテどうしよう。 雨の勢いは少し和らいだが水は自分のくるぶしまである。 秋夫に電話をした。そっちは水が出ているか? 我が家の近辺は水は出ない。少し高台になっているから。そこでジェームスは秋夫の家へ向かって歩き出した。
一時間後にずぶ濡れのジェームスが秋夫の家にたどり着く。 乾いた秋夫の洋服に着替え、キッチンでサンドイッチ食べ、ヤレヤレ、そこで母親に又電話をして自分の移動位置を知らせる。
二時間後もう雨もすっかり止まり、水もドンドン引き始めた。 太陽も顔を出し雨台風があったなんて忘れたような一変した天気に二人の高校生は遊びに夢中だが、気が付いて見たら今だ母親が迎えに来ない。 もう秋夫の家へ来て二時間、そろそろ夕方も近く彼もいい加減家に帰りたい。 あれから二度も母親に電話をしているが返事は同じで、まだこの近辺は水があると言う。

外も薄暗くなり、秋夫の頼みで私はジェームスを送っていくことにした。乾いた道路を走り、彼の家の前に来て私達が見たのは母親の車とトラックが家の前い止っていて、どうひいき目にみてもこの近辺も水かさが増したとは見えない。たとえ床上浸水の状態でもあのトラックなら難なく迎えに来られたのにと想うとなんともジェームスの顔が見られない。 
「ジャーまたナ、 オバサン有難う」とジェームスは車を降り自宅の呼び鈴を押していた。

帰路わたしは息子に聞いてみた。ジェームスはお母さんのあの無責任をどう感じているの?
しかし返事は意外であった。彼にしてみれば少しも無責任ではないという。 後二年、十八歳になって大学へ行くときに彼は家を出て、それからは帰るつもりはない。 大学はアパートか寮に入り、その後は就職して「ハイお母さんお父さんさよーなら」のつもり。その後の為にもやはり息子としても早く母親に次の男性を見つけてもらいたいと気にかけているそうだ。  寂しい一人住まいのお袋は困るって。  ただ彼が気にしているのは、お母さんの男性の趣味がもう少し良かったらいいのにと気にしているそうだ。
  
「子供は見ている」そんな題名の映画があったかしら。

1 件のコメント:

じゅんたろう さんのコメント...

先のパート・タイマーの話にしろこのたびのジェームス君にしろアメリカの子供達は早くに大人の世界を見てしまうのですね。 秋夫君は御両親の良い指導の下自立と云うことを身をもって体験してたのですね。 グロッサリーでもチップがいるのですか? それはともかくジェームス君の場合はとてもかわいそうな環境、日本人ならとっくにグレていてもおかしくない状況。 なのに御本人はそれを受け止めていられるのには感心します。 と言うことはそれほどごく普通にそんな家庭があるということですか? 
正直な話、離婚した人々がまた第二の楽しい人生が歩めるのはうらやましくも有ります。 日本でならこまめな男性はしめしめと思い励むでしょうが、大方の男性は妻から三行半を付き付けられるとへなへなとなりその後の人生が大きく変わってしまうでしょう。 今、熟年離婚ってのがはやっています。 何故なのかはいろんなことが考えられますが、ひとつはアメリカのように子供の時から自己というものを身に付けられる社会ではないと言うことです。 結婚すれば家事と育児は女性にまかせっきり、だんなは毎日午前さまのサラリーマン。 たまの休日はメタボリック腹をほり出して昼寝。 ある日突然妻が狂うわけです。
パート・タイムにしろジェームス君のお話にしろちょっとしたシナリオになりそうですよ。
じゅんたろう