2008年9月25日木曜日

ハリケーン アイク

今月十二日に来襲したハリケーン アイクはヒューストンの中央を走る高速45号線をまっすぐに北へ向かって貫いた。
水面より低いガルベストン港とその町を破壊してヒューストンの街を突風でなぎ倒した嵐は自然の女神のお怒りや如何にと驚くばかりであった。

防風林とは良く云ったもので、古い町並みは大木で囲まれているゆえ、家が古くとも破壊されたのは庭の木々と塀で終わったが、新しく建てられた家並みは、二階建てのアパート群、コンドー、東部や西部からの若い入居者が好む大型の家が立ち並ぶ新しい住宅街はハリケーンをもろに受けて新築のはずなのに屋根を持っていかれた被害が大きかったようだ。植えて未だ数年の木は根っこから掘り起こされて倒れた。

ハリケーンの来襲と共に始まった停電は翌朝には二百三十万人の人が被害を受け街全体が冷蔵庫、TV,電話器、携帯電話の充電、コンピューター、と如何に毎日の生活が電気に頼っているか思い知らされた毎日を過すことになる。

テレビ、ラジオで食料と飲み水の買い置きを呼びかけていたのに翌日になると、食料、氷、飲み水の補給にFEMA の設置した教会や駐車所へ並ぶ列は長蛇となり、食料の買い置きをする経済がないのだと云われ、 如何にアメリカは貧富の差が多いか思い知らされた。

車しか交通機関の無いこの街の人たちは、ポンプが稼動しているガソリンスタンドを探すのが一苦労、やっと見つけても待ち時間二時間となる。それに加えて大半の人たちが買い込んだジェネレーターに必要なガソリン量に驚き、容器を持ってガソリンスタンドの列は又延びる。

街全体が停電とは、あらゆる信号が稼動しないことであるから、それでなくても右往左往の人たちの交差点でのトラブルも絶えない。 
数日間は大企業、小企業、商店、レストラン もう開いているのを探すことが出来ない。 
翌日には到着し始めた全米からの電気技師達の援軍が野宿をしながらの活動に対して、ラジオがかなきり声を挙げて、援軍の為の食料不足を訴え、ヒューストン市民へ食料のドーネーシオンを呼びかけている。

何処の地域が何時電気が通じるかの連絡網はインターネットで調べるようにと云うが、何処の誰のインターネットも不通になってしまい、それでなくても停電でPCも開けられないのにどうやって調べるのサ、と皆「?マーク」が頭に点滅するばかり。

我が家が位置する地域に電気が通じたのはなんと十日目。たとえジェネ
レターがあり、明かりも冷蔵庫もテレビもラジオも保持されていたがやはりいつもと違う生活を強いられることへのストレスは大きく、誰の顔にも疲労の色が出始めていた。

やっと今週になって大半の学校も始まり、職場も開始、それでも未だ三十万人の人は停電の生活を強いられている。  

1 件のコメント:

じゅんたろう さんのコメント...

いやいや驚きました。 日本のTVはそれほど詳しく伝えませんでした。 たいがい外国でのニュースは出来事を伝えるだけです。 当初はガルベストンの住民が膝上まで水につかり避難している様子が映っていたり、カテゴリー2に勢力を弱めたと報道していました。 ところがあくる日ヒュ-ストンに向かっていると報道され、市から脱出する物凄い車の列が放映されました。 こりゃ、日本の台風どころでは無いと心配しました。 日本では今年台風は殆どやってきません。 しかし物凄い雨台風が何度かやって来、郡部の整備の好くない山間部の道路は土砂崩れなどが発生しています。 温暖化の影響かこれまでとは異なったひと夏でした。 様子を書いて下さってちょっと安心いたしました。 お疲れが出ません様に。