2008年9月10日水曜日

わたしの大統領選  3

若い音楽家がカーネギーホールへの道はどちらですか?
カーネギーホールへの道は練習です。という言葉があった。 成功への道はただ一つ。努力である。石の上にも三年。 結果が欲しかったら、諦めるな。どれをとっても忍耐と努力の必要な生活だ。己の信念や技量を信じても、浮き沈みも、紆余曲折もあるが、一つの道を歩きとうした人は最後には幸せに巡りあえるだろう。
自力で立ち上がった幸せ。ある評論家によると、共和党の原点はHow do we get there「そこへ辿りつくにはどうしたら良いか?」となるのだそう。
アメリカの素晴らしさは、自分をほっておいてくれるから。 自分の仕事、芸術、発明、開発に口を出さない、手を出さない、 自分の成功は自分のものとして置いてくれる。 開国以来数えきれない人があらゆる領域で成功をおさめている。そのどれにしても国も社会も彼らの成功を認めてくれる。努力の結果、 自由の保障。 個人の成功を国が取り上げることはない、個人の成功による巨万の富も個人の元に置かれる。 成功の裏側にある不成功もしかり。個人の責任の元にすべてが終わる。政府が自分の為に何をしてくれるかではない。自立、政府からの独立 Independant 正にそれがアメリカである。個人の幸福追求は個人の手の中にある。ある成功者が、 働けば報われる国がアメリカと云った。

そしてその評論家は、民主党の原点はWe don’t like what we got となるのだそうだ。
人生の安全の中でぬくぬくと暮らし、誰かが生活を保障してくる、誰かが三食を食べさせてくれる。それは家庭の中にまだ居る子供と同じではないだろうか。大人になり、政府が自分の為に何をしてくれる? 人生の保障を願う。もっと寄こせ、もっと欲しいと。
国は自分の為に何をしてくれるだろう。 仕事がない、学歴がない、 しかし好きな相手ができ、自分は親としての幸せを持ちたい。 結婚もしたい、いや結婚なんて縛られたものは困る、 子供が欲しい、 みんなが子供を持っている、自分も子供が欲しい、 さあ、アメリカ国家、私たちに何をしてくれる?
ここは自由の国だったはずだ、 自分は自由に生きたい、 しかし生きなければならない、国が自由の保障をどこまでしてくれる。 生活保障はどうした? 低賃金者の医療はどうした。 政府が幸せを与えてくれるのではなかったか。この国は豊ではなかったのか? 自分は豊ではない、これは国の怠慢である。政治の怠慢である。格差がありすぎる。 
そして国が要求をのんで、保障のある生活を与えられた時、それを幸せと感じるのだろうか。 
人生の保障が欲しいか、独立が欲しいかの違いである。 
今日この頃、大統領選と共に二分されたアメリカの国に居てこんなことを感じた。

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手負い虎 さんのコメント...
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