2009年8月5日水曜日

差別いろいろ

メイ フラワー号でアイルランド、 イギリス、イタリーの国々から、そして少し遅れて、ドイツからギリシャからと、胸一杯の気持ちで着いたアメリカの土地。 もう死に物狂いで開墾したこの土地。男も女も関係なく 切り開いた広大な土地 わずか250年の期間で作りあげた経済大国アメリカの力。 尊大で傲慢で恥知らずな処が見え隠れしているアメリカ人。 そんな強い生粋のアメリカ人はもう姿を消している。
今の彼らは、一言いう度に、それは差別と批判され、 ひとつ行動を取るごとに それは差別と指摘され、 職場を解放しろ、 白人だけで作られた職場は違法になり、 能力にあうとか合わないとかは別として、いかなる職場も何%かのマイノリティーの社員が居ることは規則となっている。
昔の話になるが、我の夫の黒人秘書がどうしようもなく投げやりな仕事をする故、 もう少しで 馘首しようとしたとき、その秘書嬢はニンマリと微笑んで言った。 「この職場には黒人は私一人なのですよ、 私を馘にすることは出来ないのです ご存じですか」 これは 脅迫ではない、規定を思いださせてくれたに過ぎない。 
どんな広告のポスターにも、白人が二人(男女)、黒人が一人、東洋人が一人並んで初めて、これがアメリカの姿となって 写真が撮られる。 ポスターが出来あがる。 ひとつの人種だけの表現はもうアメリカではない。 それが暗黙の了解。

 私が初めてこの国へ来たのが1960年の初め。 フラワーチャイルドなどと云われて マリワナを吸う若者たちは別として、 キューバとの接戦、ベトナム戦争への突入の時代だったが、彼らは目がキラキラとして勢力的に働く国民として世界に知られていた。中産階級はまだ 車は一家族に一台の時代だった。  丁度同じころ日本の会社社会もエコノミックアニマルと云われるほどに、追いつけ追い越せの時代だった。   人種差別もむき出しで、ここが嫌なら出て行け、 われわれ生粋のアメリカ人とはこういうものだ、働かざる者は食うべからずがこの国にもあり、世界制覇に励んでいた。

 1973年に又この国に来た時は、アレ あのアメリカ人は何処へ行ったのだろうといういのが最初の印象。 みなが平和の中に浸り、ベトナム戦争がやっと終わり、 負け戦(いくさ)は戦争ではないとベトナム戦争を真っこうから否定する国に変わっていた。 そして 30余年 怒禱のごとく押し寄せる外国人。 彼らは、開拓精神を知らないヨーロッパ系、 奴隷時代を知らないアフリカ系、自分の国では食べられないからと押し寄せるラテン系、住みずらい母国の国策を嫌う中国系、より良い教育が得られるからと砂漠の国々の人たち。 これぞ メルティングポット (人種の坩堝)の国となった。

もう現在のアメリカは昔のアメリカではない。 移民試険を受ければ誰でも市民になり、選挙権が得られて、それが今のアメリカ人。 お金がなければ、 マイノリティー権利を主張して社会福祉が安易に受け取れ、教育制度の中でも、入学時に書き込むカードに、外国人の項目に「X」を付ければ 簡単にもらえる奨学資金とグレード「A」の成績。(これはすべての学科の論文形式の中の英語力を考慮内から外されるから。  すなわちアメリカ人の学生が科学や社会科の論文の中のスペルミスの減点などが付かない)

実際の開拓精神を持つアメリカ人もすでに存在しないと同じに、奴隷時代の苦しさを味わった黒人も居ない。 もうどちらも過去の亡霊、歴史の中で伝えられる時代の生きざま。
私たち日本人が 昔の時代を思い出し、武士は人口のせいぜい四分の一にも満たなかったはずなのに「武士道」が日本の精神と誤解されているのと同じではないだろろうか。 町人、百姓には武士道はなかったはず。
あの頃の搾取制度、 封建制度 を酷かったと話す人は居ない。徳川家康の本を社会人が読み、あの武力による独裁制度の人生を会社の上昇気流に乗った社員が愛読書としていた時代を覚えている。

少数になった生粋のアメリカ人が事あるごとに自宅の前に星条旗を掲げて、「愛国心」を向き出しにする精神を他所の国の人たちから見れば滑稽な姿に映るが、正直私の目にも 相当に滑稽に移る。 そこまでして 母国を主張したいかと。 しかし、 私自身を省みて、 人生の半分以上をこの国に住みながら、日本人を止められず、 味噌汁を好み、 魚の塩焼きをこよなく愛し、 店頭で納豆を見つければ手を出す私には やはりもう少し彼らの気持ちを理解しなければいけないのかもしれない。また、母国を離れてここを人生の墓場とすることに決めた人たちの、星条旗に胸を張る代わりに、 母国の旗を仰ぎたい人たちがたくさんいるだろう、その人たちが自分の席を確保する戦いを続けながら、 星条旗を掲げる人たちへ多少の偏見と侮蔑と羨望があり、その時折にそれが 沸騰してしまうのを彼らは差別と呼ぶ。

そんな中で起きる人種差別はもう仕方がない。白人が黒人を差別する前に、 他人を蔑むのではなく、 自分を主張しているのかもしれない。 他方をへこます事で自分が上がる。 
250年前に、 少しでも広い土地を手に入れようと、馬や馬車を酷使して走らせ土地に旗を立て自分の安住の土地を確保して開拓した精神が違う形で現在も行われているのだと思えば この人種差別もそれに似たものかもしれない。

リンカーンの誕生日、ジョージ ワシントンの誕生日などが ついこの間までは祭日の名称になっていたが、 黒人社会のつきあげで、 白人の名前の祭日では差別であるということから、今では「プレシデント デイー」と名前が変わり 一年に一日だけ祭日と切り替わる。しかし、 Martin Luther King Jr. (黒人思想家)の名前で休日はあるが、それに異議を立てることは 「差別」という烙印を押されるのを覚悟しなければならない。
そして今度は 人口的には圧倒的に多い メキシコ人がシンコ デ マヨの祭日を国の祭日にすべきだとの声がではじめている。 また、 ユダヤ教の祭日はユダヤ系移民たちが堂々と仕事を休むようになってきている。 そして いまや彼らは ついに メリー クリスマスの代わりに ハッピー ホリデーと言葉を変えるように この国の祭日を変えた。 なぜなら ユダヤ人はクリスマスを祝わないからだ。  
 
創造物として、神がいろいろな人種を造ったときから 傲慢と侮蔑は人間社会の中の副産物と思っている。 さあ、 憎しみあってみろ、 戦ってみろ、 その中でわたしが出す光が見えるか?
わたしが説いた道が見つかるか?
わたしからの愛として、福音の道を示すためにわたしの息子をお前たちに預けたのに、 殺して十字架に磔けて送り返したではないか。 この上わたしから何を望む? 言ってみろ。  そんな言葉が聴こえるような気がする。

1 件のコメント:

じゅんたろう さんのコメント...

難しい題材が出ました。中学生のころウイリアム・ペンの伝記を読みとても感動したのを思い出しました。ペンシルヴァニア首都フィラデルフィアはギリシャ語のフィル(愛、もっともフィロソフィなどに使いアガペやエロスとは違う意味の愛)とアデルフォス(兄弟)から出来た造語で新天地の意気込みを感じる都市名だ。本に接した当時だとまだ独立200年ほどだ。西部劇映画全盛時代だ。しかしアパッチだとかチェロキーを悪役に回し戦う騎兵隊に疑問を持った。挙句の果ては南北戦争。ヨーロッパの文化に締め付けられ新天地を見つけたというが、彼等、先住民を押しのけてのアメリカ文化発達だ。アメリカだけだとは言うまい。南米、オーストラリア、オセアニア、ロシア然りそして中国然り。そういう日本も例外ではない。朝鮮半島や満州との関係。また今も続くアイヌ先住民の問題。これはいまだに"土人法”という項目があり、明治憲法そのままの言葉を使っている。嘘か本当か、大学生のテスト『ロ肉ロ食』’ロ’の中に文字を入れよと云う問題。出てきた答えは『焼肉定食』。弱肉強食がパレスチナ問題にもいえることだ。アメリカの場合一人一人が意識を持ってきたことがうらやましい。それなりに問題もあろうが。
日本は一見差別が無いような社会に見えるが、それ以前に意識の無さがある。アメリカ人たろうとすると国際試合などで国歌斉唱時には胸に手を当てかしこまっているが、日本人はしない。プライム問題に振り回されるまでは日本はひたすら拝金主義にひた走りだったが、いまや挫折。行き場を失いつつある。それがこの八月末行われる選挙、政権交代劇。霞ヶ関の天下り族は右往左往しているとか。やっとそんな実態に国民が気付かされ他のだ。アメリカでの"差別”には緊張感がある、悲惨な事件もあった。しかし日本の差別は誰も気がつかなかった"差別”なのだ。
コメントらしく無いものになりましが、”日本”という今を考えるきっかけに成りました。