2009年8月8日土曜日

じゅんたろう さんが投稿「差別いろいろ」にコメントを書き込みました。

難しい題材が出ました。中学生のころウイリアム・ペンの伝記を読みとても感動したのを思い出しました。ペンシルヴァニア首都フィラデルフィアはギリシャ語のフィル(愛、もっともフィロソフィなどに使いアガペやエロスとは違う意味の愛)とアデルフォス(兄弟)から出来た造語で新天地の意気込みを感じる都市名だ。本に接した当時だとまだ独立200年ほどだ。西部劇映画全盛時代だ。しかしアパッチだとかチェロキーを悪役に回し戦う騎兵隊に疑問を持った。挙句の果ては南北戦争。ヨーロッパの文化に締め付けられ新天地を見つけたというが、彼等、先住民を押しのけてのアメリカ文化発達だ。アメリカだけだとは言うまい。南米、オーストラリア、オセアニア、ロシア然りそして中国然り。そういう日本も例外ではない。朝鮮半島や満州との関係。また今も続くアイヌ先住民の問題。これはいまだに"土人法”という項目があり、明治憲法そのままの言葉を使っている。嘘か本当か、大学生のテスト『ロ肉ロ食』’ロ’の中に文字を入れよと云う問題。出てきた答えは『焼肉定食』。弱肉強食がパレスチナ問題にもいえることだ。アメリカの場合一人一人が意識を持ってきたことがうらやましい。それなりに問題もあろうが。
日本は一見差別が無いような社会に見えるが、それ以前に意識の無さがある。アメリカ人たろうとすると国際試合などで国歌斉唱時には胸に手を当てかしこまっているが、日本人はしない。プライム問題に振り回されるまでは日本はひたすら拝金主義にひた走りだったが、いまや挫折。行き場を失いつつある。それがこの八月末行われる選挙、政権交代劇。霞ヶ関の天下り族は右往左往しているとか。やっとそんな実態に国民が気付かされ他のだ。アメリカでの"差別”には緊張感がある、悲惨な事件もあった。しかし日本の差別は誰も気がつかなかった"差別”なのだ。
コメントらしく無いものになりましが、”日本”という今を考えるきっかけに成りました。

1 件のコメント:

じゅんたろう さんのコメント...

追伸:先の投稿の中で"アメリカ人たろうとすると国際試合などで国歌斉唱時には胸に手を当てかしこまっているが、日本人はしない。”と書いた。
今日から第91回全国高等学校野球大会が皇太子殿下御隣席のもと甲子園で始まった。選手の入場、足をトントンと機械仕掛けのように踏み、手はこぶしを握っての行進だ。全校全く同じだ。さて国歌斉唱、選手も観客も直立不動である。家人に甲子園経験者がいる。彼に聞くとこのスタイルは高等学校野球憲章で決まっているのだそうだ。そういえば胸に手を当てる行為は日本では見ないものだ。