2009年8月16日日曜日

屁理屈

じゅんたろうさん 暑中お見舞いありがとうございます。 日本もすっかり暑さの中に包まれたようで 大変ですね。どうかお体にはくれぐれも気をつけて下さい。 今年の夏風邪は こちらでも下痢が伴うようで厄介です。 
暑さと 熱っぽさと お腹シクシクひりひりは体力を消耗させます。 

こちらヒューストンも延々と暑さが続いています。  もう疲れました。八月になると 必ず来る 原爆の日と終戦記念日は 日本人の私たちには 決して忘れられない過去です。拭い去れない過去の悲劇。繰り返してはいけない悲劇。私たち日本人の間では この64年の長い年月をそう心に戒めてきました。  こちらでは 原爆 投下の日は 一応ニュースで報じます。 でも 12月のパール ハーバーの空襲がそれを越す報道です。悲劇の記憶というものは 被害者側が覚えているもので 加 害者側の記憶から遠のくものなのでしょうか。  そういう意味では 黒人奴隷制度は 黒人の中には生きている問題なのでしょう。又中国人、韓国人の過去の日本への恨みつらみは やはり 時代と共に順送りされるものなのかもしれません。 私ももう一度考えて見なければいけない問題かもしれません。 

多少常識のあるアメリカ人でも 広島長崎への原爆投下は 「果たさなければならなかった つらい現実」と理解されています。  もし  投下しなければ 億という数の日本の国民とアメリカ兵が悲惨な戦いのもとに亡くなるはずだった。それは日本国が玉砕をいとわないという情報の元にだそうです。 それを 「原爆を投下したことで 解除出来た」そのように報道します。
 8万 人以上の広島の市民が一瞬のうちに亡くなることがどうして両国の為なのか? それはわたしには絶対に理解の出来ない理屈です。仕方がないから 投下した、沖縄のような合戦を日本本土でアメリカ兵及び日本国民がしてはならない、 そこまでは理解出来ます。 でもその先の それなら それが なぜ原爆だったのか。 その行き過ぎた行動は認めたくない現実のようです。 見識ある人たちは アメリカの汚点と認めますが それでも やはり次の言葉は
「しなければならなかった」「日本人の為に投下した」と聴きたくない屁理屈が口から出ます。


『今年は特に”核”廃絶を訴える番組が大変多いと思います。北朝鮮の無謀な核実験に始まり核保有力による相互の武力の均衡が、おかしな事に抑止力になっているということです。ちなみにアメリカは9,800発、ロシアは12,300発を保有しています。世界中で数万発ということです。』



世界でそんなにあの魔の爆弾があるのですか。抑止力とは 自分たちのもっている核を捨てることですか? それともこれから持とうとする国や 核の数を増やす国を抑制させることですか? それも理屈に合いません。 ある見識者が お互いに核をもっているから 使わないのだ。 それも屁理屈です。

じゅんたろうさん 私が子供の頃、長崎原爆投下の映画 「長崎の鐘」を何度も何度も観ました。被爆した永井博士(名前がたしかではないのですが)と二人のお子さんたちの悲しい話です。 じゅんたろうさんの記憶の中にもありましょう。 あのような 一人ひとりの悲劇は 数万発の核保持のもとでは 木の葉がごとくもう意味がないのでしょう。 人類の罪深さがいつこの世の終わりを迎えるのでしょうね。

そうです 明日は聖母の被昇天でした、 私が洗礼をうけた日です。最近祈ることが出来なくなっている私ですが、 もう一度 あの日に戻って いろいろと考えてみます。 
     

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