2010年8月22日日曜日

目には目を 歯には歯を 

「目には目を、歯には歯を」これは新約聖書の中(マタイ)に記されている一節、一般的には キリスト教の教えと思われているが、 実際には 「報復の法」と呼ばれて、 紀元前17-18世紀のバビロン王の律法である。

すなわち旧約聖書の中の律法であり、元をただせば ユダヤ教の教えである。いつのまにか キリスト教の教えと捉えられているが、それは誤解である。キリスト教は 最初から 復讐は許されていない。 

人間の弱さの常として 復讐は増大する傾向があるのを戒めるためにある律法であるが、 しかし、旧約の中でも 復讐はいけないと教えている。 

しかし、世の中の常として 仕返しはいつも 3倍も4倍もの大きさでお返しするのが 人間の世界である。

アラビア新聞での一つのお話

サウジアラビアのある街で、2年ほど前に、 当時22歳の青年が 有る男との諍いの結果、 脊髄に打撃を受けて、片足切断と下半身麻痺の障害者となった。

加害者は逮捕され、刑期14か月判決で刑務所に居たが、恩赦により7カ月で自由の身となり、現在は大学の講師をしている。

その加害者に対して、 被害者の兄が、 サウジアラビアのイスラムでの法律を示し、加害者の体へ 被害者と同じ危害を加える事を上告し、 現在は 裁判官が各病院や地域の自治体へ書類を送り、実行の賛否を問い合わせている為、現在保留中であるという。



先日は、イランのある若い女性が 結婚している男性と不倫をしたことで、「石打ちの刑」を受けた。

その石打の刑を実行する為に広場に連れだされた女性に向けて刑を実行する為に集まった人の数は 150名以上であったという。

私は 法律の中に石打の刑がまだ 現存している事よりも、 今のこの世の中で、 刑罰とう名のもとに、無抵抗な女性が死に至るまで 石を手に持ち投げ続ける事へ 150人以上の人が集まり一緒に実行したことが何とも 心の中に後味の悪い気持ちが残る。

人種差別とか、習慣の違いとか、宗教の違いとか 人は言うけれど、 やはり国によっては お互いがどうしても理解できない事はあるのだと つくづく感じる。 

所詮世界は同じテーブルの上では 話が出来ないのだろうか。

8 件のコメント:

あらま さんのコメント...

なぜアメリカが、日本に 2種類の原子爆弾を落としたのか・・・
その原因を辿ると、トラック島での日本兵による米兵大量虐待に着くそうです。
つまり、捕虜である米兵に対して虐待したその報復なんだそうですね。
それが、日本各地への徹底的な絨毯爆撃になったそうです。
日本人は、それでアメリカ人を本気で怒らせてしまったようですね。
ところが、日本が負け、天皇が国民の救済をマッカーサーに要請すると、アメリカはそれに応えて、即座に大量の食料、薬品を無償で日本に提供。
そのアメリカの変り方にも驚きます。

そうして、日本が成長して、アメリカを抜いた日(トヨタがGMを超えた瞬間)
に、アメリカは国家を挙げて報復。

とにかく、アメリカには敵わない・・・
これが日本人のDNAに刻まれたことは確かなようです。

革袋の一滴 さんのコメント...

そのトヨタ苛めが終わらない内に今度は イギリス叩きが始まりました。BPの原油漏れに対する苛めは トヨタの数倍の苛めでした。あそこまでするかと驚くほどのBP叩きでした。
 ヒューストンにあるBP支社長が、「何でも良いから早くこの問題から逃れて、休暇を取りたい」と漏らしたそうです。
崩壊するアメリカに対して今は世界のリーダーの位置を保つのに、もう羞じも外聞もないのが現在のアメリカです。人種の質が落ちたのか、 アメリカの人種の坩堝が沸騰状態で、祖国を他所に持つアメリカ人の力が強くなったのか確かではありませんがね。

いっその事 アメリカ合衆国ではなく、 アメリカ連合国となるかもしれません。 

あらま さんのコメント...

訂正です。
「トラック島」ではなくて「パターン島」のことでした。
いわゆる「死の行進」ですね。
トラック島は、日本軍が原住民を強制労働させるため大量移住させたと言うことで、東京裁判でも問題になった島でした。
いずれにしても、日本人にとっては単なる「移送」のつもりでも、米兵や原住民には「虐待」に他なりませんでした。

あらま さんのコメント...

あれから暫く考えましたが、男女の関係は「目には目を・・・」ではないように思います。
つまり、「倍返し」という言葉かあるように、女性からプレゼントを貰ったら男性はその倍の金額のものを返すようですね。
さらに、ケンカの場合でも、男性が一言喋れば、女性は倍・・・いや、拙宅の場合は、10倍になって返って来ます。
そうなると、ハムラビ法典は甘いと思うのです。

革袋の一滴 さんのコメント...

あらま様
我が家の亭主に置き換えて考えてみるとやはり あらま様と同じ身上でいるのでしょうね。 これからはもう少し 手加減します。
我が家の喧嘩も、「どうして10年前の事が今又出てくるの? そんなこと覚えていないよ。 助けてくれよ」と降参してきます。 多分覚えていても忘れた振りをして逃げるのでしょう。 

「愛と許し」これは永遠の課題です。  

あらま さんのコメント...

拙宅でも、10年前の不祥事が話題になります。
でも、本当に覚えていないのです。
男って、みんな そうだと思います。
それだけは、信じてください ! !
(あらま、心からの叫び)

じゅんたろう さんのコメント...

昨日、日本の法務省が死刑場の現場を公開しました。各メディアは競って其の公開の是非と死刑問題について取り上げました。個人的には「汝殺すなかれ」の戒めに観念的に死刑に反対でした。この公開は最近の日本における凶悪な殺人事件に業を煮やしたのと来る11月には裁判員制度による最初の死刑判決の事件が取りあげるからだそうです。「罪に対する値は死である」と聖書にあります、しかしそれは「涜神罪」という考えが基本にあります。「汝殺すなかれ」がそれに適応するとすれば、適法なのでしょうか。アメリカのように、州に依るのでしょうか?百何十年という禁固刑があり決して出られないのでしょう。
日本では時には20年ほどで出所ということもあります。これでは意味がないと言うことなのでしょう。しかしもうひとつ冤罪による死刑執行が過去に何度もありました。これではたまりません。
”目には目を 歯には歯を”でちょっと考えてしまいました。

革袋の一滴 さんのコメント...

アメリカでは 死刑の有る州と無い州があります。本人自白とか犯行現場での逮捕ではない限り、 人が人を裁く法律は必ずとこかに落ち度があると想います。
この国でも 冤罪による釈放が何件かありました、それは 殆ど強姦と殺人のケースですが、昔はなかったDNAテストにより冤罪が発覚しています。
とはいえ、やはり罪を犯した人は罰せられなければなりませんね。罪びとが死後の地獄での苦しみを受けるまで、この世では待っていられません。
しかし地獄の沙汰だけが金次第ではなく、この世も弁護士しだい、金しだいですのようです。