2011年3月13日日曜日

お見舞い申し上げます。

朝一番の目ざましラジオが日本の地震の報道を流していた。 飛び起きたのはゆうまでもない。 TVを付け、場所は何処だと目をさらのようにしてテレビを観る。

東京及びその近郊に住む私の親族は無事だろうか? 震源地が仙台と聞いて少し安心する自分が人間として情けなかった。 自分の身内が住む地域が無事なら良いと云う問題ではない。 

日本との電話連絡に忙しくしたが、中々通じない。しかし、結局他所の州に住む姪っ子からの電話で 日本の親族は全員無事との通知は受け取れた。

殆ど疎遠に近いこの国の義弟から電話があった。 日本の私の親族は大丈夫かと気ずかっての電話であった。
とても嬉しかった。 そして、私の身内が大丈夫ですよと云える自分に感謝している。

文明の利器も、研究も、ロケットを何機飛ばしても、国会の予算が何兆億でも、災害から人が守れないのでは 一体なんの為の研究だと云ったら怒られるだろうか。

やっと通じた電話で私が家族の安否を聞いている間にも、  同居人の携帯が鳴っている。この国の知人達がニュースを聴いて、私の日本の身内の安否を聴いてくる。

幾つも来る電話は、彼の交友関係だから 私の知らない人達になる。 共通の友人もいるが、彼個人の知人もいる。
共通している事は私が日本人だと知っているだけだ。

それでも彼らは掛けてくる。奥さんの身内は大丈夫かと?  ありがいと感謝している。

彼がパソコンを開けると バイク仲間の集団が 日本の地震の災害者へのお見舞いを書いていると教えてくれた。

彼らの、そのようなお見舞いは勿論仙台や近郊の災害を受けた人たちへは伝わらないけれど、
やはり世界はまだまだ捨てた物ではないと実感する。 

被災者の皆様には悪夢の出来ごと、私などが想像も出来ないほどに 哀しんでいらっしゃることです。
心からお悔やみ申し上げます。  

3 件のコメント:

じゅんたろう さんのコメント...

お見舞い有り難うございます。今日16日にいたるまでも小さな揺れが何度も襲ってきます。一日中からだがゆれているようです。震源地はおよそ太平洋側500キロ十数ヶ所と山梨、静岡の内陸部、そして昨夜中には富士山の頂上近くで震度6と云う地震がありました。今回の最初の地震に触発されて直接つながっていないプレートをも刺激しているのです。関東地方はほぼ大丈夫ですが、原発事故がどこまで広がるのか注意せねばなりません。千葉あたりまで値は低いのですが風に乗って放射能が着ているようです。今後この地震がフィリピン・プレート、南海プレートに影響がないように祈ります。あたりのスーパーにはほとんど品物がありません。人々はパニック状態で手当たり次第に品物を買いあさっているのです。知り合いのドラッグ・ストアーの女性は「見ていて其の浅ましさに気分が悪くなる」と言っていました。災害にあった方たちのことを考えると少しは考えなさいと口をついで出そうになったとのことです。
今日夕方から停電です。このブログへもなかなか発信することが出来ませんでした。

じゅんたろう さんのコメント...

二伸:先ほどニュースでニューヨークをはじめ多くのアメリカに方々が、「売り上げの一部とチップを全部寄付します」と云った事や、若い人たちの寄付活動、国際カリタスが教皇様の呼びかけに寄付活動をしている場面が流れました。人々の善意を感じます。皆様有り難う。
それに比べ日本では東京都の石原知事が「これは天罰だ、津波で罪を洗い流せ!」と言ったことに対する轟々たる非難と抗議が渦巻いています。恥ずかしい限りです。

あらま さんのコメント...

小生は、先日 震度 6の地震があった富士山がある静岡県に住んでいます。
お陰さまで、拙宅では一連の震災の被害から免れてはいますが、被災地は壊滅的で、いまだ救助を受け入れる態勢すら整えることができない状況です。
そんななか、世界各国ら、たくさんの救援物資が送られてきているようです。
しかし、船から陸に物資を揚げようとも、それを受け入れる態勢が出来ていなく、物資はそこで滞っているようです。
また、道路も空港も津波に流されて使えない状況でした。
そうした困った状況に、アメリカ軍が来てくれました。
アメリカ軍の空母は、大型ヘリコプターの基地となり、そこから救援物資が届けられています。
さらに、アメリカ軍は、空港や道路を暫定的に回復してくれて、それが使えるようになりました。
お陰で、一気に物流が回復している様子が伝えられています。
さらに、事故があった原子力発電所では深刻な状況が続いているようですが、アメリカ軍は積極的な支援をしてくれています。
訓練されアメリカ軍の活動のお陰で、たくさんの日本人が助かっています。
さらに、日本の自衛隊が救助活動に集中し、国防に穴が開かないように、アメリカ軍は日本を守ってくれていると伝えられています。
そうしたアメリカの友情には、言葉が見つからないほど感謝しています。
今も深刻な状況が続き、今後もアメリカからの支援を頼らなければならない状況です。