2008年7月7日月曜日

茶飲み友達/3 フォスター

題名を覚えていないが、こんな歌詞があった 

[いつものことだが、また今日も、-お父さん僕と遊んでヨ- とせがむ息子に、お父さんは仕事があるから遊べないよ、 さあ、良い子だから向こうへ行きなさいと追いやった。 そしてその晩も自分は仕事に忙しかった]

そして時が過ぎ、戦いは終わった、 もう自分には時間が十分にある。この遺された時を息子と過ごすのを楽しみにしてきた。日曜日、電話で息子を呼び出した、 しかし、息子からの返事は、「申し訳ないお父さん 僕には今山のような仕事があって忙しい。 それに週末は自分の息子と過ごす約束があるから、お父さんと過ごす時間は無い」そんな歌詞だった。切ない唄だと思った。

夢中で過ごした時代、子供たちも成長した。 全てが終わろうとしているのに、横に居るはずの伴侶が居ない。 旅をして見ても、 素晴らしい景色を見て振り返り一緒に景色を分かち合おうとしても誰も居ない。 

自分はまだ生きている。 もうじきセント ピーターが自分の名前を呼ぶまでを誰かと過ごしたい。 毎日とは言わない、 週末だけで良い、 一か月に一度でも良い、 誰かと一緒に過ごしたい。 来週になれば、あのご婦人と食事が出来る そんな期待をもう一度もちたい。

フォスターは今年73歳。原油採掘会社を顧客に持つ、採掘権賃貸契約書の専門家だそうだ。アメリカの国が石油を掘り当てる場所ならどこへでも飛んでいくのが仕事だった。全く自分の家庭にじっとしていることなく人生の大半が終わってしまった。そして二年前に妻が逝った。

彼は筋肉萎縮症の持病を持っている。 歩行困難は年々進む。最近はつま先が床から離れない。 右足だけだったのに、もう左足も持ち上がらない。 医者が、補助器を付けて歩行訓練をしなければ目の前に車椅子が待っていると云う。でもそれがどうした。 車椅子結構じゃないか。 今の私に残されたのは仕事だけだ。 歩けなくても仕事へは行ける。それで結構。 歩けなくても、頭はしっかりしているのだ。彼は妻を亡くしてからますます自分の体の状態に無頓着になった。

最近のフォスターは愚痴が多い。 駄々を捏ねる。歩行補助器の試着にも、口から出てくるのは愚痴だけであった。

そのフォスターに三か月振りに合った。萎縮症は又進行したようだ。しかし部屋に入って開口一番「僕にガールフレンドが出来たよ」声の張りが違う。 冗談を飛ばす。もうまったく別人のように明るい。

息子に勧められて、二人で女性探しをしたそうだ。「お父さんもう一度人生を楽しんでくれないかって頼まれてね。」 インターネットから団体のソーシャルクラブまでいろいろ当たって、山のような書類審査をして最後の三人に絞って、息子と二人でその三人の女性と面接をしたのだそうだ。

そして一人気に入った女性に逢えた。もう僕は三回も彼女の住むオースチンまで飛んで彼女と食事をしてきたと誠にうれしそうである。彼女はね、僕の話を最後まで聞いてくれるやさしさがある。会話がたのしい。もうベタ惚れである。誠に宜しいようで。

今まで愚痴ってばかりで少しも歩行補助器をつけなかった彼が今日は自ら体に付け、ホイサ、ホイサと掛け声をかけて歩行訓練をする。 疲れて椅子に座っても、外の景色を見て、今日は天気が良いねと云う。 本当に穏やかなおっさんになった。

1 件のコメント:

じゅんたろう さんのコメント...

フォスターさん、私と殆ど同世代です。 人生をあきらめたり、希望を持ち直したり歳を考え消去法で残るは残された人生を如何生きるかといった高尚なものではなく、とりあえず今日明日の段取で終わってしまう私です。 「欝」の話題が出ていました。 そのような人たちとの出会いでもう五十年経ってしまいました。 偶然にこのブログが書かれた同じ日に二人の女性が入院しました。 一人は彼の家で暴れ、偶然に持っていた果物ナイフの為銃刀法違反と殺人未遂で逮捕の挙句の入院。 もう一人は自分のふやけた殻を破るのは己しかないと進んでの入院です。 元はと言えば二人とも人間関係の難しさが「欝」の始まりでした。 
フォスターさんに拍手を送ります。 
じゅんたろう