最近はいざ知らず、 有る程度の年齢の人たちは 過半数は日曜日には首根っこを親につかまれて教会の硬い木の椅子に座っていたのです。 それでも 罪の宝庫のアメリカです。
それでは他所の国々は罪なき楽園なのでしょうか? 東南アジアの一国では、人の物を盗んだらその手をチョンと切る、と聴きました。
別の国では 悪さをすると 鞭でぶたれるのがまだ存在しているとか。 その方が 刑務所に何年禁固より良いかななどと考えますが、
ご存じの国では 不倫をすると 石を投げて殺されるのが現在もつづいています。
そうなると私は禁固刑何年を選びます。 当然のことですね。
私の愛読??している「読売小町」というウェブ サイト 欄では、最近の日本では 不倫をすると、妻から相手の女性へ百万円単位の慰謝料が請求出来るそうですね。 少し現実的ですけど それも 道徳をお金に換算してしまうほうが あっさりしていて気が楽かもしれません。
今月は少々経済がおぼつかないから 亭主が何処かの女性と不倫してくれないかしら、今月の支払いの助けになるのだけれど。 これいけませんか?
信じるとは 「人間存在そのものが持っている他者への依存性という側面に関しての体験」となにやら私の理解の外のことがある本に書いてありました。「依存性」そうかもしれません。生きる指針。
ある日本の神父が 「イエス キリスト と法然」について書いていました。法然の「他力本願」とキリスト教の「他力本願」に似るところがあるのでしょう。
始めてシャトルに乗って宇宙を回った宇宙飛行士の感想が、
「宇宙の世界に身を置いて、 その世界の無限の素晴らしさ、人間以外の何かがこの世に存在する。 人間の力では出来ない強い何かがこの宇宙に存在すると、これが神の力か?」はっきりとは覚えていませんが そのような事を話したそうです。
そして数年後に、日本女性で始めてシャトルに乗った飛行士が本をお書きになりました。(失礼ですが お名前を覚えていません)
その中で、 先に述べた宇宙飛行士の言葉にふれて、
「わたしは神の存在云々は感じませんでした。神を信じませんから。 わたしは人間の力しか信じません、人間の力と技術によって宇宙へ行けたのです」
たしかそのように書いてあったと思います。
これが、単細胞のアメリカ人と日本人の違いですね。綺麗なものを見て 胸とどろかせるか、 自分の力があるから この美しさが楽しめるか。
まったく予断になりますが、 第二次世界大戦後、アメリカの政府が天皇陛下を戦犯にという意見があったそうですが、日本人は天皇陛下を神のごとく崇拝している国民であるゆえ、 もし占領国が天皇に手をかけた後の日本人が怖い。その後は 我々の支配下に入ることを 国民が死に物狂いで阻止するのではーという意見の交換があったと、あるTV談義で観ました。
私が小学校入学の時は 「道徳教育」という授業が消えていました。 それはアメリカが 日本の道徳教育は一種の宗教教育だと思っていたそうです。もしそうだとしたら、 マッカーサーは 敗戦国の宗教教育を廃止したつもりだったのですかね。
これは日本がかつて韓国に日本語を強要したのより罪が重いかもしれません。
でも、そうすると 先の知人が言った、「私は法律を破らない~云々」は結局「道徳の道」があるから宗教はいらないという考えに辿りつき、マッカーサーの考えもまたしかり、となりますかね。
2 件のコメント:
アメリカの映画・ドラマを観ていますと「おー・まい・ごー」とか「じーざす」なんて言います。
日常的に、神が登場しますね。
日本では「神が死ん」で以来、現実的に考える人が増えたと思います。
小生の年代以降、神を強いて定義するなら、宗教団体の集金行為のアイテムである・・・
あるいは、神とは「自然の法則」である。だから、それに逆らえば、滅びる。
まぁ、そんな具合ですが、日常的に神を意識して生活する人は少ないと思います。
従って、神にすがる場合は、手術の時とか試験の合格発表ぐらいではないでしょうか ?
よくわからない神様にすがるよりも、カネの方が確実・・・
だから、日本女性の宇宙飛行士の言葉は、当然だと思います。
神は人間の妄想・・・。そんなことを言う人もいます。
ところで、人間と動物との境界線に「神」があるそうです。
神を信じることが出来るのが「人間」なんだそうですね。
・・・ということは、日本人は人間以下ということになります。
確かに、昨今の日本国内で起こる事件を見ると、神も仏もないですね。
日本で何故宗教があまり人の中に存在しないか? という中に。
宗教に「頼る」とか「神の存在を認める」ことは 人間の弱さを出すからだ。 というのを読んだことがあります。 又 日本人は 「頭」で考える種族だからだという意見もありました。
これは言い当てているでしょうね。
「頭で考える」と「常識」を極度に尊重する種族だと感じます。
そういうこのアメリカも 「無神論者」の声が大きくなり始めています。
演説の終わりの「神のご加護を」が今は余り言えなくなっています。神を信じない人には聴きたくない言葉ですから。あらゆる箇所に出てくる「God」の言葉を抜き取る作業が行われています。
子供が毎朝学校でする 「国への宣誓」の中にもこの言葉が入っていますので この宣誓を廃止する活動も出ています。 これからのアメリカは大きく変わります。 良くなるか もっと 悪くなるかは 他所の国の人が判断するでしょうね。
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