2008年8月8日金曜日

男には記憶がない

ある大学でお互いに知らない者同士の男子生徒二人一組、女子生徒二人一組と分けて、各々空いた部屋へ一時間ずつ入れ二人がどのような会話をするかモニターに取るという調査をしたそうだ。

知らない者同士の会話は男子生徒には苦手のようでなかなか始めないが、一度会話がはじまってしまうとお互いにリラックスして楽しげに話しをする。ところで男子生徒の会話の内容は一様にセックスかスポーツだったそうだ。

一時間後に各々会話の内容を質問する。 男子生徒の回答は殆ど皆な同じだったそうだ。「サー何を話したかナ。 憶えていません!」

彼らが回答を避けているのではない、本当に一時間後には自分たちがしていた雑談の内容などはもう記憶にない。

あまり逢うこともない弟に主人が電話で話しをしている。自分たち家族の近況から仕事の話まで楽しそうな会話である。 30分ほどして電話を切る夫に妻が訊いた。ずいぶん楽しそうだったわね、何を話していたの? しかし夫の答えは「 サー何だったかな? とにかく弟は元気だった。」それでおしまいである。 

何故自分には電話の内容をおしえてくれないのだろうと妻は不思議に思うが、夫はどんなことを電話で話したか、妻に説明が出来るほど憶えていないのだそうだ。

女性たちは7年前に夫がどんな悪さをしたか、 5年前にどんなきっかけで二人は大ゲンカをしたか、その際、夫は何と云ったかまで克明に記憶があるのに、彼らにはない。それゆえ、なにかが起きて、その昔に似たような事が起きたことを記憶の中から出してきて夫にそれを正しても全く相手にならない。 「そんなこと言ったことない」「知らん」「君は誰かと間違えている」「絶対に自分ではない」としらを切る。火に油を注がれたがごとく烈火のごとく妻は怒って、「この卑怯者」と恨んでも仕方がない。夫は本当に何も記憶にないのだから。「そんなこといちいち憶えているほどこっちは暇ではない」と心の中で毒づいているのである。

十年ほど前から私の夫は家族とのコミュニケーシオンが難しくなった。本人はそのようなことはないと主張するが、妻である私の話があまりよく聴こえなくなったらしい。  何を話しても人の顔を見ているだけで、反応がない。 私の話を訊いているの?と尋ねると、訊いていると答えるが、結果が出ていない。時には私の話に合わせて「ウン、ウン」とうなずいたりするが、あとで話しが何であったか問いただしても返事が出来ない。 「アナタ聴いているの?」返事は勿論「聴いているよ」それだけである。 もしや難聴になったのではと心配して、娘が父親を耳鼻咽喉科の検査に同行した。医者から事前に、いつも一緒に住んでいる家族の方が検査に同席して下さいと言われたから。

検査の結果は、難聴の疑いナシと出た。 全く普通の人と同じように聴こえているのだそうだ。医者の話によると、夫は夜の睡眠中以外は頭の中は仕事の事を考えている人間であるため、良くそのような患者に起きる症状だそうだが。耳の中にフィルターがあり、それが音声を聴き分ける。今自分が考えていることに大切な情報をもたらす音声のときはフィルターが全開してよく働くが、聞こえてくる音声が自分には何の利益を伴わないと判断するとフィルターが閉じてしまう。 

「娘さん、結局あなたのお父さんは良く聴こえているのです。ただ、あなたのお母さんの声やあなた自身の声には時々フィルターが閉じてしまうのです。 もう頭の方が別の事を考えているのですよ。  実は私も最近は自分の妻の声はもう聴こえません、申し訳ないと思うのですがね」妻の声に体が拒否反応を示す。 恐れいりました。私も夫の為に食事、洗濯を作る時は体が拒否反応を示して手が動かなくなったらどんなに気持ちが良いであろう。

2 件のコメント:

手負い虎 さんのコメント...

そうかねえ。そのデータ、はなはだ疑わしい。

私には昭和2年から12年までに生まれた4人の兄と、昭和14年生まれの姉がいる。ちなみに私は昭和16年生まれだ。

ところで、兄、上からABCDのうち、A以外は3人とも、「昭和16年4月7日にA兄さんが何をした」などという記憶を、鮮明に覚えている。

件のA兄さんは、満州引き上げの時にたぶん記憶中枢にショックを受けたらしく、楽しい平和なことはまったく記憶を喪失している。ところが、少なくとも昭和23年以後の記憶はなまなましい。

かくいう私も2歳からの記憶を保持している。

何か革袋さんの記事を読んでいると、アメリカという国は、やたらに人間をモルモット代わりに研究対象として使っているようで、ひどく科学的な国だなあと考える。

私は、性別とか血液型別に人間を分類し、納得する「科学」には、きわめて懐疑的である。身の回りに、そのデータに当てはまらない事例が多すぎる。

私は鶏を飼っていて、雌雄、種別に、この鳥はめんどりだからどうだ、白いからどうだ、茶色だからどうだ、雑種だからどうだ、と言う前に、愛憎による関係が優先されて、物事が決まるように感じている。

しかして、人間という生き物も、愛憎によって、物事を把握している。種類、性別、血液型には、あまり信仰をもっていない。

じゅんたろう さんのコメント...

私は別の読み方をしていました。 この春。自分では難聴だと思い耳鼻科へ通いました。 たいした技術だと思いますが、耳の内部や咽喉辺りを細い管状のカメラでとるのです。 結果なんら異状が無いとのことでした。 しかし、数人の会話中の人々の中で内容が聞き取れないのです。 意見を求められても適当なジェスチャーで誤魔化さねばならないのです。 歳がいき興味ある事柄を限定してしまっているのかも知れません。 他に気付いた事は近頃の人々の語彙の貧しさです。 やたらに短絡してしまうのです。 そして自分の考えを言葉で表現し伝えるのが著しく低下しています。 NETや携帯、TV、漫画がそれに拍車をかけているのではないでしょうか? 
しかし、己の視野が狭くなっていることは確かです。