2008年8月16日土曜日

めぐり逢い

ある自称アマチュア音楽家が、プロのクラシックのオーケストラの指揮をするチャンスにめぐまれた。彼は演奏会での指揮を許された瞬間、この長い人生本当に生きていて良かったと神に感謝したそうだ。毎日の生活の中でも絶えず音楽に接し、二人の息子にも何でも良いから一つの楽器を習わせようと彼らが子供の頃から叱咤激励の必死の毎日を過ごしてきた。今は辛いだろう、しかし、これを通り越して大人になったとき、練習しておいてよかったと思うからとためつすがめつ説得している ピアノ、トランペット、バイオリンもう何でも良い。 そして彼らに毎日の楽器の練習を義務ずけていた。 最近は多感な高校生に成長した二人の息子と親との、練習をしたシナイの戦いはもう泥沼合戦である。

彼の晴れの演奏会の後、その25名のプロのオーケストラ団員と談笑中に質問をした。

「この中で、子供の頃、楽器の練習が嫌で、親から毎日『練習しなさい』の最速をされて現在まで来た人は手をあげて下さいと頼んだ。 彼は自分の過去と二人の息子の現在を顧みて、はたして何人の人たちが手をあげるだろうと楽しみにしていた。  しかし、母親から毎日強制されて練習したおかげでここまで辿りついた人は25人中一人だった。

他の人たちは、その楽器と対面したときから好きで、毎日の練習が楽しみだったと云う。まさに「好きこそものの上手なり」である。もちろんこの25名が全てを表現しているわけではない。 世の中には、いろいろな面での成功者が、「親の協力があったからこそ此処まで来た」と唱える。それも真実である。

彼はそこでハタと困った。 それでは、毎日何かと言えば練習をさぼる二人の息子の事はどうしたら良いのだろう。 このまま自分は黙った方が良いのか頭を抱えてしまった。 

私の二人の子供も6歳のときからピアノの練習を始めた。 息子の秋夫は、どのピアノの教師からも、将来が楽しみですね、と言われたが、本人は、ピアノの前に座っていることも苦痛のようだった。 ピアノのある部屋に入れてドアを閉めると、窓から抜けでて遊びに行ってしまう。数年後、そんなに嫌なら辞めてしまえという母親に「ママありがとう」と感謝された。しかし数年後にギターを始めたら、これは母親の後押しがまったく必要なく、自分から練習に励み、33歳の今でも暇があると一人でブルースを弾いて楽しんでいるそうだ。 

人生にはいろいろなめぐり逢いがあるのだろう。 私の人生には楽器とのめぐり逢いはなかった、今、自分には何とのめぐり逢いが合ったのだろうと考えているのだが、残念だが思いつかない。それは私自身が気ずかないだけなのだろうか? 私にも何所かに隠れた才能があるのにその才能は生涯隠れたままで終わるのだろうかしら。

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