2008年8月1日金曜日

天国って本当にあるの?

天国と地獄は本当にあるのか?

 そんな議論を聴いた。 天国の存在は望むが、地獄は無くても良いと皆が望んでいる。しかしそれは自分に振り返っての問題であってであろう。誰しもが死後に天国へ行きたい。 それは死後の世界があると信じる、或いは感じる人たちの問題ではあるが。

自分の犯した罪は神に許してもらいたい。宗教によっては全てイエス・キリストを信じる限り、何事も許されると云う人もいるが。 一般社会では、人の犯した罪を許すか許さないかは被害を受けた側の問題である。 それと法律が被害者になり替わって罰してくれる事もある。 それでは、殺人者が刑務所の服役の終了後に死が訪れた時、その霊は天国へいくのだろうか。これは各宗教の教えによって答えに変化が出てくるのであろう。 殺人鬼が死刑になり、死後に天国で幸せになるのでは、多数の被害者は浮かばれないという人も居た。 そうなると、地獄は必要になってくると妙な意見に納得する。

そこで次は「神は罪を犯した人に処罰をあたえるのだろうか」

地獄があることが処罰である。しかし地獄は永遠の苦しみであるから、それは「神の許し」からは遠くなる。 そこである人が、 神は処罰(Punishment)を与えると云うのだ。 最初の人間であるアダムとエバにPunishmentを与えたという。 それは、神との約束を守らなかった二人をエデンから追い出した。 すなわち神はアダムとエバに「死」のPunishmentを与えたと云う。

何故アダムとエバは全てが満たされていたのに、果実に手を出した? それは人間とは弱い者だから選択を間違えたのだと意見が出た。弱い人間はどのように満たされても、その上の欲望にかられ罪を犯しつづける、そして必ず死が私たちを迎えに来る。 その死後が又問題なのだ。ある人は、その死後に天国へ行けばPunishmentにはならない。 しかし、現世との別れがある。愛する人たちとの別れがある。と話す。

しかし、死は普通当人と取っては一瞬の悲しみであるが、残された人たちの悲しみは永く続くが、そうなると処罰を受けているのは現世に残る人たちとなってしまう。

カトリックでは、現世では決着がつかないという教えになり、それゆえ、理想がこの世に実現するなどという夢は見ない。

プロテスタントでは、現世でも願えばジョイフルを与えられるとある。

さて仏教では現世の事をどう説いているのだろうか。

この疑問を云いだした人はユダヤ教なので、結論を避けていた。 私の浅はかな知識では、ユダヤ教の信者はイエス・キリストを救い主と認めず、殺してしまったのだから、まだ「救い主」を待っているはずだったけど。そうすると、キリストの開けてくれた「天国の門」も彼らには価値がないとすると、彼らは死後何所へいくのだろう?

一度ユダヤ教の人に尋ねたことがある、 「貴方がたは一体どこへ行くの」彼に言わせると、自分は両親がユダヤ教だから、その宗派のはずだけど、クリスマスも祝ういい加減な人間だから、実際には何所へ行くのか知らない。まあ、それは死んだらなんとかなるでしょう。行くところが無かったら又戻ってこられるネ」 なるほど。

何か疑問がもっと広がったように感じる。 

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