2008年10月5日日曜日

発言小町

暇さえあれば文字を追っているのが好きな私だが、時には気に入った本が手元にないので、ひと様のブログなどを覗き見て楽しんでいる。
最近 面白いページを見つけ、少しのめりこんでいる。別に夜も日もとは言わないが結構な時間をついやしてこのコムニティーページを読む。 

「発言小町  読売」と呼び、 よろず相談、身の上相談のコラムである。 現在の日本の女性の建前と本音をさらけ出し、問題提議側と回答側が皆一緒になってこのコラムを繁栄させている読みでのあるコラム。

  人生のちょうど半分、前半を日本、後半をアメリカで生きている私には、現在の日本人の女性を理解しているようで時々戸惑う、それは帰国する度に感じることで、私が今浦島太郎になっている証拠ではあるが。毎日の生活様式もどんどん違っている。
生活様式自体はむしろ日本が欧米化してきているので、日本感覚を期待している私が肩透かしを受けるだけで、日本語の通じるアメリカだと思えば少しも戸惑うことはないのだが。 永い伝統の中で育まれた人間性にやはり変わりはない。 しかし、 女性の地位の向上と云うのか、解放された社会で働いている女性の地位の向上からか、意識の変化は日本男性を置いてきぼりにして女性の方がどんどん前向きに進んでいるのを観る。しかしである、まだまだ日本古来の女性の位置、結婚、子育て、老後の安泰が女性の全うすべき人生であると固辞している群れはまだまだ生き残っているのだと感じる。それを如実に読ませてくれるのが、この「発言小町」である。

実に面白い、 不眠症も手伝って、時には夜の2時頃まで読んでいて、アリャ~これは明日辛いワとPCを閉じて寝るのだが。

面白いのは、60代70代の母親、姑(これを義母と呼ぶことも知った。姑という言葉は死語らしい)この年代の、女性向上、世の中への進出に置いてきぼりを食った元女性群と大学教育を受けた近代感覚満喫の現在女性群の戦いは凄まじい。 以前では考えもしなかったであろう、核家族と日本全国民長生きの結果となってきている老後の介護が目の前に迫る元女性群がどうやって、いじめ抜いた嫁に自分の老後を看させようか、 息子本位の家庭にしてきた虐げられた娘を手元に置いて介護をさせようかと、まさに小説である。

日本社会で結婚をせず、ひとり暮らしの働く女性の意識の強さには尊敬の念を感じる。なぜなら、このコラムを読んでいる限り、まだまだ、女性は結婚、出産をして女の人生を生きることと考える若い女性も多く そんな世間で、好きな仕事をし、適度の恋愛を楽しみ、一人気楽に暮らしている女性群を結婚群がやはり多少の軽視の目で観ているのがやはりまだ日本かナ~と感じる。

21世紀、国際結婚も少しも珍しくなくなった現在だが、 その女性たちが嫁ぎ先の外国で就職難にあえぐことに、お国元の若い女性群が、「結婚して挙げたのに」、なぜ貴女のだんな様は仕事までさせるの? それならば離婚をして帰国をお勧めしますなんて意見が恥ずかしげもなく大手を振っているコラムでもある。 男女平等権利がわかっているようでまだわかっちゃいないらしい。 まだまだ若い女性の中にも、結婚は女性の生活の保障であり、亭主に養ってもらうなかでの男女平等を恥ずかしげもなく掲げているのもこのコラムの特徴かもしれない。

あるアメリカの女性の友が話していた、 私は男女平等には反対です。 何故なら、まだレストランでの支払は男性にしてもらいたいし、 テーブルに座るときに男性に椅子を引いてもらいたい、ドアも開けてもらいたいし、重い手荷物も変わりに持ってもらいたい。私は結婚して今も働いているけど、定年前でも、疲れたら、嫌になったらこの仕事を辞め家庭でノンビリと習い事でもする生活に入りたい。でも自分の夫には、定年まで、嫌でも、疲れても、職場での無理難題を我慢しても働き続けてもらいたい。 それが私の生活の保障でしょ? それをギブ アップしてまでどうして男女平等が欲しいの? 私は死ぬまで、か弱き女でいるつもり。  この意見を唱えた彼女が体重身長共にご亭主のそれを上回っていたのが少し可笑しかったが、まさに名論だと思った。

私にはおよそ知ることも無かった、小説以外での考えもつかなかった日本の女性たちのもろもろの問題。あえて日本女性というのは、アメリカでは起きえない、習慣、因習、日本の道徳感覚、育ちからくる問題が多いからである。

どのひとの中にもある、小さな小説を読ませてもらって、あ~ みんな一生懸命に生きているのだと感慨無量になる。

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