2008年10月10日金曜日

毒親 Toxic Parents

「『毒になる親』Toxic Parents 一生苦しむ子供」 という本があることを、先の「発言小町」の欄が教えてくれた。 
これはアメリカの心理学者が自分の患者の臨床例を書いた本だそうだ。  世の中には、成長していない親、 親になる資格が本当はないのに親になっている親、 我が子に嫉妬する母親、子供が親を追い抜くことを拒否し、邪魔する親、子供の進路を決める親、子供を支配する親 もういろいろある。 これら一連の親の事をこの本では「毒親」と呼ぶ。

さっそく読んでみた。 単純な興味からではなく、はたして自分は「毒親」に入るのかどうか知りたかったからだ。 何事に置いても自分は良かれとしてとった行動が実際には、法律的、社会的、道徳的に好ましくはなかったことがある筈だ。 自分なりに頑張ったが通用する場合と、そうでない場合があるのと同じ。 自分も親に育てられたが、その自分も子供を育てている。 理想の親などは居ないだろうが、自分は育て方を間違えはしなかったかしら?という不安はいつもあった。 二人の子供、直美も秋夫もまともな大人に成長してくれた。だが、育てる過程で自分は果して良い親であったかどうかは知りたいと思った。親になる教科書はないが、誰もいつの間にか親になって、当たり前のように育てている。 考えてみると怖いことである。

三十になって一応は恋愛結婚ではあるが、 好きで結婚した相手も、生活を共にしてみると、アレッと気がつく、知らなかった一面も二面も持ち合わせる夫。 通じると思った自分の英語も底は浅く、 云いたくないけど、結構意地の悪かった姑。 腰を落ち着けて初めて知った外国の生活習慣の中身。 よせばいいのに始めた自営業による生活の困窮。そんな中で育てた二人の子供たちは、自分なりに頑張ったでは済まされない間違いもあったであろう。 言葉の違いから起きる知らず知らずの「強い言葉」、ひとつの家庭の中に根を張る二つのお国柄の中で子供たちはずいぶんと困惑したであろうと想像する。 それもこれも全く産まれてきた二人の子供には選ぶ権利のないことであった。 わたしは「仕方がない」という言葉が嫌いである。 妥協も嫌いだ、しかし、自分の気持ちを捻じ曲げなければ世の中が、自分のまわりの小さな世界が成り立たないこともある。そんなときに起きるどうしようもない母親の気持ちを私は子供の上に投げてはいなかっただろうかと気になる。

成人した息子や娘は、得に娘は、よく人から、「君のお母さんに逢ってみたい」と言われるそうだ。 それがどのような意味なのか未だにわからない。 母親の影響が強い子供なのだろうか? その影響は良いことか悪いことかも知らない。あわよくば良い方であって欲しい。

しかし、この「毒親」の本によると、 子供の中に親の影響が強いことは余り良いことではないらしい。そうなると私は「毒親」になる。 子供は親からの満足を得る為に生きてはいけないそうだ。 親の期待が子供の成長の中に浸透してはいけないのだそうだ。 

もう遅いかもしれない、成長してしまった子供たちに私はどうしたら良いのか考えてみた。 これからの私に出来る事は相手を自分の幼子と考えず、大人と考え、彼らの進路へ励ましの言葉を与えることらしい。 良くても悪くても、彼らが選んだ就職、恋愛、結婚、育児へ頼まれるまでは手も口も出さず、じっと見守ることが愛情なのだそうだ。 はたして私に出来るだろうか? 息子へは口よりも先に手の出た母親である。 娘には訊かれもしないのに助言ばかりして来た母親である。その母親が今になってじっと黙っている人、じっとして手を出さない人に変化したら、さぞや子供たちも戸惑うことであろう。     

1 件のコメント:

じゅんたろう さんのコメント...

日本ではMonster Parentsというのでしょうか。特に小中学校で問題になっています。教師を自殺に追い込むほどです。「塾ではトップクラスの成績なのに学校では如何してこんな点なのですか?教え方が間違っていませんか!」「せっかく時間を割いて授業参観に出向きましたに、如何して手を揚げているうちの子を当てないのですか。」「義務教育でしょう?給食も無料にすべきです。」「うちの子は病気でしばらく休んでいます、給食費を払っていますので家まで届けてくだい。」等々。私の勤めている幼稚園で早やその芽生えが有ります。およそ350名の内、徒歩や自転車で登園する親子100組に毎朝接触します。もう二学期半ばなのに入り口で泣き叫び暴れる子が何人かいます。中にはそっと逃げて帰る知能犯もいます。親は腫れ物に触るように接しています。反面、幼稚園へ来るのが楽しみで親助けの子もいます。その違いは家庭での会話でしょう。今は携帯電話という便利なものがあり親同士が、どちらかといえば幼稚園への不平不満を話し合っていると見受けます。園側に何か不備があるとたった五分で全員へ流れます。そんな会話を子供が聞いているのです。私は園になじまない子と親の点と線を其処に発見しました。親に注意する勇気はとてもありません!幼稚園は厳しい世に出る第一歩です。そこで私は子供に目を向け、そのような子供と一緒に毎日泥だらけで遊ぶことをするようになりました。気付き始めた親が出てきました。そして携帯電話の威力を利用したのです。そして下園時に私とハイタッチしなければ帰らない子供達が増えてきました。しめたものです。そのようなことが携帯電話で流れだしたのです。あるお母さんからそのことを聞き分かったのです。
しかしこんな当たり前の子育てを理解出来ない今の若い世代の親です。革袋の一滴さんの今回のブログで感じ入りましたので日ごろの様子を書きました。