2011年6月7日火曜日

石狩平野

船山馨の 「石狩平野」]を読み終わった。
若い時は読書にスピードがあった。アレッという間に一冊の本を読んでしまって、あーもったいないと残念だったものだが。今は悪戦苦闘である。

友人が届けてくれた角川文庫本、もう古くて茶色に変色してしまった、字の細かい本。
これは辛いと紀伊国屋ホームページを開けて、改正版の少し字のサイズの大きいのはないかと探してみたが、見つけはしたが、改正版とは書いてない。確かに改正版とわからなければ買えない。
最新印刷の年でも知ることが出来ればよいのだが。 兎に角改正版は諦めた。

明かりの真下で、老眼鏡をかけて、上中下の三冊の本、 時は明治の14年北海道(札幌)開拓からはじまり、 大正、関東大震災 そして昭和とつづき、世界大戦へと突入、終戦で物語は終わる。 その間にこれでもか、これでもか と沢山の人たちが死んでいく。

前こごみになって、 読んでいたら、 背骨から肩甲骨へかけて凝ってしまい、
カイロプラクテスへ二度も出かけて、 骨をポキン ポキン としてもらうという愚かなことになっている。 

私は人間が甘いから、本を読むと、 よほどでない限り、その作者の書いていることを信じる。 それも私の余り知識のない範囲の事だと 結構素直に信じる。

この作家は軍国主義と軍事統制政治、独裁、疑獄そして、一握りの人間による他国への侵略の恐ろしさを見せてくれる。現代のように、PCだ、報道だ、オン ラインだと情報網のなかった国民の、何もしらされていない恐ろしさ。 知っていた処で 民主主義ではなかった日本の国民に何が出来ただろう。

昔、私の父が話していた。 兵隊に国を任せてはいけない。 彼らは戦争意外出来る事がないのだから。 鍬ももてない、物も作れない。出来る事は戦争だけだ。この本を読む限り納得出来る。
日本の戦争物を読むと必ずでてくる、制裁という名の暴力。そして不思議なのは、温厚と親切が一杯詰まっている日本人の精神が、同じ日本人である戦中の軍人があれほどに冷血で野蛮な人間になりえるのだろう。
嘗てアメリカの世界大戦のドキュメンタリテレビ番組の中に、捕虜の日本兵のコラムがあった。戦地でその捕虜の見はりをしたという元兵士が語っている。
「とても不思議だったのは、 我々アメリカ兵はもしも捕虜になったときの訓練を受けている。その一 どんな屈強でも脱走をする努力を怠らない。
その二 捕虜同士の助け合い。 

しかし、日本兵の捕虜は、その中でも上下があるのは理解するが、 助け合って、体力を消耗しないようにするはずが、 上が下を暇さえあれば殴っている。 ただただ殴っている。捕虜になった以上、兵士を殴っても何の得策もないのに。 あれを毎晩みせられて、日本人への恐ろしさを感じた。」
そんなことを語っていた。
最もこのアメリカでも、 「弾は後ろからも来る」という言葉があるから、やはり戦争は人を変えるという事かもしれない。

しかし、 首も肩もこったけれど、 久々にのめり込んだ本だった。 良い本に巡り合うということは嬉しい事だ。 そして、これを書いている時に、ドアベルが鳴り、 郵便配達のお兄さんが 山本一力、佐伯泰英などなどの本を11冊入っている小包みを届けてくれた。   東京のお兄さんありがとう。
今日は私は幸せです。

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