2011年6月14日火曜日

シシーのその後  2

シシー自身も最近はいろいろと考えるらしい。 てんかんもちで、一人では暮らすこともできず、人生の終わりを告げる年齢の60代になり、仕事も辞めた自分に、 若い男性の臓器をもらい、 ゆっくりとだが元気になってくる自分が少し怖い。 神様は私に何を要求しているのか今は本当に知りたいという。 他の若い人がもらえば良い若い臓器を60代の私がもらってしまった。これから何かをして世の中へ感謝しなければ、この肺が無駄になってしまう、とあせるという。

何かをしなければ、 家に居るだけの自分に何が出来るかと、 編み物をしてみた、裁縫をしてみた、ビーズ編みをしてみた、どれも今までの人生で縁の無いものばかり、  そうかもしれない。 彼女の気持ちになれば 重荷かなーと少し理解出来る。

私に何が出来る?と訊かれたが、 私の答えは、 裁縫や編み物では無い事は確だねと答えるしかない。そこで 二人で考えてみようという事になった。

体力的には やはり普通の健康体ではない。
車の運転が出来ない、 
いまでも、癲癇の発作はおこると言う。
ジョンは否定しているが。 癲癇の発作は、本人にはあまり自覚がないらしい。
何時も発作が起きた時は、本人は気が付いたら寝かされていたとうのだから、 どの程度の発作か本人は知らないはず。  
以前も止めればいいのに、車の運転を何度か試みて、運転手中の緊張からか発作が出て事故を起こしている。    ありがたい事に、本人が大木へぶつけたり、誰も居ないお店へ車ごとぶち込んだりであったが、 両方とも本人はすべてが終わってから知らされる。しかし彼女は 先週は三回も発作が起きたと主張する。
シシーは詩を書く。相当に宗教色が強い詩を書く。
文体も良い。そうであろう 教育者なのだ。

書いた詩をブログ作成して発表する。しかし、それは毎日の生活ではない。
イラクなど前線にいる兵士へ手紙を送る。慰問的な手紙では限りがあり、 相手を見つけるのが難しい。

自分の臓器移植の体験を書いてみたらどうだろう。 これから移植手術を受ける患者、 
臓器提供者を待っている病人、 手術前後の不安を抱えているひと。 いろいろな人たちがシシーの経験談を知りたいはずだ。

現在のところは 私たち二人の頭は此処までで止まっている。 しかし、シシーには交友関係が広い。 教育者仲間、 ジョンの顧客、メソジスト教会の信者仲間と沢山いる。 その人たちが別なことを提案してくれるかもしれない。

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