2011年6月4日土曜日

すき焼き 1

25年来の友人の奥さんシシーが昨年末に両肺の移植手術を受けた。彼女は学生の頃に自動車事故を起こしそれ以来のてんかんもちでもある。
その彼女が両肺移植によって其れにも増した薬漬けの生活となった。 一時期はバブル人間のような無菌状態の生活を強いられていたが。今現在も生活上の禁止事項は多い。  

一人で居ることも事も禁じられている。 必ず誰かが傍に居ないと、 てんかんの発作か肺の機能低下による極度の衰弱の恐れがある。
ひとことで内臓移植というが、 移植後の生活があれほど大変なものとは知らなかった。 まさに生きる為の努力だけが毎日の生活である。

彼女の一人息子はもう独立している。ゆえに旦那(ジョン)とペアで離れることはない。
同じ介護でも、彼女がジョンの仕事場へも同行できるだけ幸運なのかもしれない。

彼女は以前から車の運転が禁止されている。てんかんの発作が何時出るか分からないからである。 もちろん薬をしっかりと飲んでいれば、その心配はないのだか、
その大切な薬の量をもてあそぶ悪癖が彼女にはある。 薬の量を違えることで彼女の気分や体力に変化が起きることによる回りの人たちの扱いの変化を楽しむ傾向がある。
かまって頂戴症候群とでも言うのだろう。

そんな事を言うのは多分私だけかもしれないが、 その被害を受けている側にしてみれば、
「アンタのしている事こちらは知っているヨ」
と言ってやりたいことがなんどもあった。しかし、 病気の人への理解をしてあげなければいけない。分かっている。
シシーと居るとこちらの忍耐と精神の訓練になると気持ちの整理をしている。
しかし、シシーは大学院の修士課程、特殊児童の教育者でもある。今までの人生はその難題を抱えた子供たちへの教育に人生の大半を過ごしてきた人であるだけに、ここら辺が理解に苦しむところなのだが。

そのシシーは学童年齢の前に日本に住んでいたことがある。 父親は軍隊の将校。第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と戦歴の多い人であったが、
御多分にもれず、この家族も戦後すぐ進駐軍として家族ぐるみ日本に駐屯していた組である。  

そのシシーの願いは「すき焼きが食べたい」ということだ。 日本に居たときに食べたあのすき焼きの味が忘れられないと、50年も前の話をよくする。 
私達夫婦との付き合いは永いのに、 食事をする時は何時もレストランであったし、一緒に日本食レストランへ行ったこともない。
何故だったのだろうと今考えても分からない。 すき焼きなどいとも簡単な料理なのに、何故私が彼女夫婦のためにそれをしなかったのか未だに分からない。

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