2009年12月23日水曜日

わたしのクリスマス  1

 皆様寒い冬の季節如何お過すごしでいらっしゃいますか?  当方はアメリカに移り住んで、毎年繰り返された大騒ぎのクリスマス準備もやっと終わりました。
 最初の頃は、まったく日本で育った環境との違いで戸惑い、 どうしてここまで贈り物にお金と時間をかけなければならないかと呆然としたものです。若い夫婦であった頃はそれなりに金銭の余裕もなく、夫側の親族の数の多さに恨めしくなり、 キリストの生誕を祝う前に、 祝日なんて来なければ良いのにと、そうすれば、これほどの費用が掛からなくて済むのにといじましい事を考えたのが正直な気持ちです。

でも、子供達の25日の朝の喜びの顔を見るたびに、 さて、明日からは食費を切り詰めるぞ~当分ステーキなんてこの世に存在しない物と思え、肉なしパスタにジャガイモ、運が良くてハンバーガーだぞとそっと主人に宣言して来ました。

戦い終わって戦禍の寂しさとでも云いますか、 夫側の親族も兄弟を除いては皆他界。兄弟もいまや自分達の時代から、こども達へと舞台は移動しているようです。

我が家は一応は二人の子供はまだ未婚、(一応と云いますのは、 息子は婚約中であることとステップ(義理)の子供が二人居ります)加えて、遠距離に住んでいます。 それにクリスマス休暇には帰宅しないという、母親の私にとっては「悲報」に近い言葉をもらっておりますので、36年連れ添った古い顔馴染みの亭主殿と二人だけのお祝いとなりました。寂しいですね。 

24日は、我が家の慣わしで、亭主殿の両親のお墓参りから始まります。 父親が12月24日に肺がん逝ってからもう51年です。墓参の後は夕方から、友人宅のクリスマス パーティー。このパーティーもお互いの年齢が増すに反比例でやはり数が減ります。少なくとも、私自身も自宅での集まりは止めました。娘がアパートへ引っ越してから、手伝いの居ない集まりは疲れます。

三時間ほどの呑んで食べての集まりの後は、これぞクリスマスの真の意味を持つ、 イエズス キリスト生誕を祝うミサへ夜の11時30分から、普通終わりは 夜中の2時近いでしょう。 さて、中高年の年齢の私達夫婦ですから、 ウトウトと居眠りをせずに終わりまで済ますことが出来ますでしょうか。禁酒を始めてから、オヤスミの時間が10時半と早くなった亭主殿、 何処まで持ちますか。

 昔の想い出ですが、私がサン フランシスコでまだ学校へ通っていた頃(1964年頃)のクリスマスの夜中のミサに出席したとき、左り隣に座ったのが、軍服を着た20代中頃の将校さん。
 なんとも見とれるようなハンサムな将校さん。私は直ぐに神様に、クリスマスプレゼント有難うございます。 これで、この超ナガーイミサが楽しくなりましたと感謝をしたほどその将校は素敵でした。

その将校さんはミサの間、背骨をまっすぐ伸ばし、素敵な軍帽を膝の上に乗せ、微動だにせず座って居ます。本当に立ち姿も良いが、座る姿も素晴らしいと私は一人喜んでいましたが、途中、教会内が静けさを持った瞬間、その軍帽が大きな音を出して、ポトンと床に落ちました。 しかし、将校さんはまだ背骨まっすぐ。 それから数秒後、隣の友人がカレの足を蹴りました。気がついた将校さん、あわてて前こごみになって床へ手を伸ばしたら、長身の為、カレのオデコが今度は前の座席の背に、ガツン。そうです、カレは背骨まっすぐのまま居眠りをしていたのです。あれはまさに天才技でした。 でも帽子が落ちてばれてしまい、もう顔から首にかけて真っ赤っか。 ポトン、ガツンの音が大きかっただけに、 一応は向こうとなり三軒さんではないですが回りの人たちの 、私を含めての「クスッ」という小さな微笑が聞こえ、将校さん席をはずしてしましました。

 そして10分後に戻ってきたときには、隣に座る私にも感じるほどの寒さを運んで来ました。外に立って寒さで目を覚ましていたようです。

まあ、こんな事が若い頃のクリスマスの想いでの一つとは、神様もなんと安上がりなプレゼントだと喜んで下さったことでしょう。

1 件のコメント:

あらま さんのコメント...

一滴さまの甘酸っぱいと言いますか若葉の香る思い出に、小生も貰い笑いをしました。
それにしても、女性という生き物は、ハンサムな人が傍にいるだけで幸せになるようですね。
拙宅の可愛い妻も、大晦日になると「紅白歌合戦」ではなくて、イケメンが多数登場する年越し番組を楽しみにしているようです。
息子の年の同じようなハンサムの男の子が次から次へと登場するという番組で、それを見ると ハッピーになるそうです。
小生は辛党なのに、家内のご機嫌を取るために、アイスクリーム や 鯛焼き を買わなければなりません。
それなのにイケメンは、ただ居るだけで良いみたいですね。