2009年2月28日土曜日

マンモス 十字架



高速を南に向かって、さて次の出口で降りたら自宅というあたりから姿が見え始める巨大な十字架がこの二月から突如顔を表した。 高さ 51.81メートル。 総工費概算 250,000ドル 高速の真横にニョッキリと顔を出す不気味な十字架。 傍に寄ると威圧されるような高さを感じる。 
後の建物はマンモス バプティスト教会。 もちろん十字架はこの教会が建てたもの。私はこの教会に所属していないから建てた理由は知らない。 彼らの運営する教会資金から何をしてもそれは全く彼らの自由である。この街でも数少ない巨大な信者数と底知れないな財力を持つ教会である。やはりすることが大きい。  

昨年の八月に私はこのブログで「三つの十字架」と題して、裸の十字架、すなわちイエス.キリストの像の付いていない十字架にたいする不気味さを書いたが、 その裸の十字架もこう巨大になると、十字架の神秘性など吹っ飛ぶ。 十字架があって、復活があって、初めてイエスの受難を感じ取るキリスト教の真理というよりも、 あの2000年前の時代の十字架の意味。 死刑、処刑を想い起こさせる威圧感を感じる。これは罪の意識の中で生きている私のサガであろうか。 

かつてこの教会の信者であったお向かいのテイラーさんに早速訊いてみた。 どうしてあそこに十字架なの?  彼の答は傑作であった。 
多分、誰もがあの十字架を見上げて、 悔悛の気持ちを感じて、 イエス キリストを想いだし、皆が教会への道を歩いてくれれば意味があると、まあ、そんなもんではないかナ? でも正直に言って、あれだけ大きいと、 ヘッ、台風の時は大丈夫だろうか、 テキサス産の竜巻には生き残れるだろうか? 夜間飛行にはちゃんと見えているだろうか、 しかし、 ドデカイね。いったい、いくらかかったのかナ~というのが正直は感想ではないかしら。
何ともおかしな答えが返ってきた。 それって キリスト者の答とは程遠い答えです。 という私に、 いやいや、私も最近バプティスト教とは少し疎遠になっていてね。 いろいろと付いていけない問題があるのよ。そこで、今はメソジストの教会へ出かけています。  
なんかどこかで聞いたような話だナ~確かこれと同じことをしていた私の友人が居たはずだが。
彼女元気かしら。

1 件のコメント:

じゅんたろう さんのコメント...

おかしいのはカトリックだけではないのですね。困ったものです、教会が信徒の心配をするより信徒が教会の心配をしているって、一体何が起ころうとしているのでしょうか。
私はこの一月から近くの巡回教会を発見!しまして行きだしました、しかし聖水も無い御堂で信徒は手で拝領します。新ミサでは司祭はちょぼちょぼと手を清めます。しかし隔週に来る助祭は単に御聖体を配るだけです。
日本の神社には流れでている手水がありお寺でも蹲(つくばい)があります。今話題の相撲でさえ塩による土俵の清めは大切行いです。現教皇は典礼の崩壊が信仰を崩していると枢機卿時代の論文に書かれています。四旬節に入り「スタバト・マーテル」の祈りを黙想し十字架は単にキリスト教のシンボルではなく「神の苦しみ」の印なのであると感じています。御聖体を受ける時、単に跪きでは無くラマ教徒の如く五体倒置程の謙虚さが必要なのです。しかし、新ミサに変更してから四十年です。あの壮麗でつつしみ深い御ミサを体験している人たちはもう僅かになってしまいました。近いうちに私は隠れキリシタンになろうとしています。有るトリエント・ミサをおこなって居られる司祭から新ミサに与らずとも良いと許可を得ました。それをどちらか選択するべきは私です。辛いことです。