機械工、設計士、デザインのマイクと三台のコンプユーターをつなげたNetwork が必要とコンピュータを買い込んだが、さて誰がその配線をする?普通は専門業者に頼むが、彼はわが社で働いている若い従業員トマスに目をつけた。彼はかつてワイヤーマンであったから配線は得意だ。プロの時間給は普通35ドルから40ドル。仕事帰りのトマスを呼び止めてアルバイトを勧誘した。それも相場の半分の額。しかしトマスは独身者、夜学へ通いいつかは薬剤師になるのだと勉強中。副収入は誰でも有難い。 早速週末と仕事の後にお隣へ行ってコンプユーターの接続配線を始める。新しく購入する機械も今ではすべてコンプユーターである。一ヶ月後には便利なトマスを丸抱えで雇った。いわゆる引っこ抜きである。こちらはまた新しく社員募集をせねばならない。しかし「去るものは追わず」本当はそんなことはどうでも良いのだ。 若い社員が少しでも賃金の良い職場へ移っていくのは悪いことではない、しかし、四ヶ月後、新会社設立の予算を大幅に出たマイクは見事にトマスを解雇した。
アメリカでは、履歴書に克明に職暦を書き出す必要がある。一年一年年数を追ってその間にくまなく就業しているか、空白があればそれを知りたがる。何故ならその空白期間に刑務所入りがある可能性、病気、短期間の就職と解雇の繰り返しと疑いを持たれるから。また職歴の欄にかつての雇用主の住所、電話番号が必要とされている。会社側としては照会をくまなくする。 わたしのところにも十数年も前に居た社員の照会電話を受け取ることもある。「この職場をなぜ辞めた」それが大切なのだ。 また解雇とレイオフ(リストラ)とは意味が違う。就業期間の極端に短いのも、尻が落ち着かないと嫌らわれる。もう一つは、 解雇には失業保険が適用されない。これは辛い。 故に私たちのような零細企業が資金繰りに困り従業員にやめてもらうときは、次の職場への推薦状を添えることもある。
予断になるが、 中型サイズの職場への就職になると、ドラッグ テストが必ず入る。 麻薬常習者では困る。履歴書の審査、面接が終わり、そこまでOKの出た求職者は次にお小水のテストが待っている。これも男性の場合はカップを手渡されてから提出するまで必ず人が付き添う職場もあるそうだ。不埒な奴が時々現れて、家族の一員のサンプルを隠し持ってきて出すのもいるそうだ。嘘かホンとか知らないが、妻のお小水を持ち歩き、それを提出したら、未来の雇用者から、「君は妊娠していますね」と言われたなどという話を聞いた。 我が家の息子や娘も学生のころのアルバイト先で何度も経験をしている。 かつて息子の秋夫が面白い助言をくれた。 ドラッグ テストの前日に「日本の七味唐辛子」の入った食事をすると、テストの種類によっては「要注意」の結果がでるそうだ。七味の中の香料のどれかが引っかかるそうだが、それが何か教えてくれたがもう忘れた。
昔日本では、小学校で検便の日というのがあった。今もそれがあるのだろうか。その日の朝は学校中の生徒が登校前に自宅であの小さな容器を持って頭を抱え込む。 ある年、クラスの中のガキ大将が、自分は今朝弟が庭の隅で新聞紙の上に落とした糞を後ろから掠め取ってきたと豪語していたのが居た。
数週間後に結果が出た。わたしたちのクラスの男性教師は一人一人名前を読んで、結果を伝えてからその用紙を生徒に渡す。生徒のプライバシーなんて言葉もなかった懐かしい昔の話しである。 傑作はそのガキ大将の名前が呼ばれたとき、教師は、大声で、彼の腹の中にはサナダムシあり、肝油を飲むグループに名前を書き加えていた。教師以外クラス中の子供たちは、それが彼の弟の物だと知っている、今こそガキ大将が自分の行動に責任を持つときが来た。クラス中の子供たちが腹を抱えて大笑いをしたのを覚えている。
2007年12月19日水曜日
2007年12月13日木曜日
お隣さん マイク 1
相棒のマイクは多少人をコントロールする癖がある。親しみを持つのに時間のかかる人のようだ。
マイクとミッキーの二人でこれから設立する会社のイメージがどうやら違うように見える。 ミッキーが吸殻をポイと工場の床に捨てるのが我慢できないと、 吸殻のある箇所をガムテープでX字を貼り付けて歩く。 もちろん吸殻はそのままだ、嫌なら捨てればいいのに、それは彼の仕事ではならしい。ミッキーの汚れた手で壁を触り汚れたと、そこにもガムテープでX字を貼って置く。 最初それを知ったとき、「異常」?という言葉が頭をよぎったがそうではないらしい。本人にしてみれば、言い出したらきりがないし、喧嘩になるとでも思っているらしい。 一日の終りに旋盤やミルの上に鉄くずが残っていると毎日ミッキーは文句を言われている。鉄やステンレスを削れば切りくずがでるのは致し方ない。だが、マイクは工場をいつも綺麗に保ち、何時誰が新会社を見に来ても整理整頓がされていて、うちの工場はこんなにきれいですと見学してもらうのが営業の一つと心得ている。いまだ大きな企業の一員として働いていたときの習性から抜け出られず、思いつき一つ、指図一つで会社は動くと信じているようだ。
自営業とは、営業、生産、経理、庶務すべてを知る必要がある。 もちろん人を雇えばよいことだが。
中国から移住してきたある若夫婦が新しい食堂を開いたが、数年で倒産した。 理由は簡単だった。 メニューの中のすべての料理を、オーナーが料理出来なかったから。もちろん彼らはコックを雇った。 そのコックが決めた料理すべてがメニューに載っている。 しかしコックといえども人間。 病気もすれば怪我もする。
計理士上がりの若い経営者は、毎日レジスターの後ろに座り、帳簿を眺め、お客に挨拶していたが、 店が軌道にのり、この分で行けば今年はもしかしたら黒字なんて喜んでいた頃合を見て、コックが給料値上げを要求した。 とても彼が支払われる額ではなかった。値上げを渋る店主に、コックは実力行使を使った。 翌日から出勤を拒否した。若い店主はそのときに自分の愚かさをさとったそうだ。 もしも、自分がすべてメニューに載っている品を料理できていたら生き残れたと。 社員が出来ることを雇い主ができないようでは足元を見られるだけのこと。
独立した人が必ずしもノオハウをすべて知っているとは限らない。普通自分の専門を生かしたくて始めるケースが多い。 朝の会議に出て、秘書にコーヒーを持ってこさせて、なんてしゃれたものはもうない。コーヒーを淹れるのから床掃除まで経費を節約したかったらすべて自分たちでしなければならない。現在のアメリカの銀行は小企業に資金を貸さない方針になっている。理由が面白い、借財の額が小さいからだそうだ。借金をするなら大きくしろというわけだ、自営業の必要とする小額では書類仕事に時間がかかるだけで経費の無駄だという。
マイクも必死なのはわかる。彼が誰かと話し合いたいのもわかる。絶え間なく我が事務所へ設計図を持ち込み、こちらの働き手の意見を聞きに来る。 新しく購入した機械の使い方、電気の配線、果てはコンプユーターの使い方まで聞きに来る。 なんかカラースさんを思い出す。事務所を開くことに関する質問であったらいくらでも助けるつもりだ。かつてはわたし達が始めたときも誰かのお世話になっているのだから。しかしそれが収益を伴うビジネスに入ってくるとこれは別である。こちらはわが社の働き手にいい加減にするようにと注意したが、笑っているだけだ。しかし私としては死活問題である。夕方の仕事の後とか週末であるなら構わないが、営業時間では困る。この業界は知識、博識、経験は現金収入につながる。だからコンサルタントという商売が成り立つのだ。 自営業とは、毎時間オーナー自身が働き続け、収入を出さないと運営していけない。毎日が戦いである。
ある朝、いつものようにマイクが事務所に現れた。 「彼居る?」もちろん居るさ、いなきゃ困る。 「ちょっと相談だけどね、」と私の事務所の前を通って奥へ消えた。
30分後にドアを押して出て行こうとする彼に私はにっこりと微笑んで「問題は解決しました?」と聞いた、マイクは、「解決しました」
そこで私は囁いた「請求書は後で送りますから?」それ以来マイクは二度と事務所へは来なくなった。その二ヶ月後に彼はコンサルタントを雇った。最初からそうすべきだったのだ。ただ乗りはいけません。
マイクとミッキーの二人でこれから設立する会社のイメージがどうやら違うように見える。 ミッキーが吸殻をポイと工場の床に捨てるのが我慢できないと、 吸殻のある箇所をガムテープでX字を貼り付けて歩く。 もちろん吸殻はそのままだ、嫌なら捨てればいいのに、それは彼の仕事ではならしい。ミッキーの汚れた手で壁を触り汚れたと、そこにもガムテープでX字を貼って置く。 最初それを知ったとき、「異常」?という言葉が頭をよぎったがそうではないらしい。本人にしてみれば、言い出したらきりがないし、喧嘩になるとでも思っているらしい。 一日の終りに旋盤やミルの上に鉄くずが残っていると毎日ミッキーは文句を言われている。鉄やステンレスを削れば切りくずがでるのは致し方ない。だが、マイクは工場をいつも綺麗に保ち、何時誰が新会社を見に来ても整理整頓がされていて、うちの工場はこんなにきれいですと見学してもらうのが営業の一つと心得ている。いまだ大きな企業の一員として働いていたときの習性から抜け出られず、思いつき一つ、指図一つで会社は動くと信じているようだ。
自営業とは、営業、生産、経理、庶務すべてを知る必要がある。 もちろん人を雇えばよいことだが。
中国から移住してきたある若夫婦が新しい食堂を開いたが、数年で倒産した。 理由は簡単だった。 メニューの中のすべての料理を、オーナーが料理出来なかったから。もちろん彼らはコックを雇った。 そのコックが決めた料理すべてがメニューに載っている。 しかしコックといえども人間。 病気もすれば怪我もする。
計理士上がりの若い経営者は、毎日レジスターの後ろに座り、帳簿を眺め、お客に挨拶していたが、 店が軌道にのり、この分で行けば今年はもしかしたら黒字なんて喜んでいた頃合を見て、コックが給料値上げを要求した。 とても彼が支払われる額ではなかった。値上げを渋る店主に、コックは実力行使を使った。 翌日から出勤を拒否した。若い店主はそのときに自分の愚かさをさとったそうだ。 もしも、自分がすべてメニューに載っている品を料理できていたら生き残れたと。 社員が出来ることを雇い主ができないようでは足元を見られるだけのこと。
独立した人が必ずしもノオハウをすべて知っているとは限らない。普通自分の専門を生かしたくて始めるケースが多い。 朝の会議に出て、秘書にコーヒーを持ってこさせて、なんてしゃれたものはもうない。コーヒーを淹れるのから床掃除まで経費を節約したかったらすべて自分たちでしなければならない。現在のアメリカの銀行は小企業に資金を貸さない方針になっている。理由が面白い、借財の額が小さいからだそうだ。借金をするなら大きくしろというわけだ、自営業の必要とする小額では書類仕事に時間がかかるだけで経費の無駄だという。
マイクも必死なのはわかる。彼が誰かと話し合いたいのもわかる。絶え間なく我が事務所へ設計図を持ち込み、こちらの働き手の意見を聞きに来る。 新しく購入した機械の使い方、電気の配線、果てはコンプユーターの使い方まで聞きに来る。 なんかカラースさんを思い出す。事務所を開くことに関する質問であったらいくらでも助けるつもりだ。かつてはわたし達が始めたときも誰かのお世話になっているのだから。しかしそれが収益を伴うビジネスに入ってくるとこれは別である。こちらはわが社の働き手にいい加減にするようにと注意したが、笑っているだけだ。しかし私としては死活問題である。夕方の仕事の後とか週末であるなら構わないが、営業時間では困る。この業界は知識、博識、経験は現金収入につながる。だからコンサルタントという商売が成り立つのだ。 自営業とは、毎時間オーナー自身が働き続け、収入を出さないと運営していけない。毎日が戦いである。
ある朝、いつものようにマイクが事務所に現れた。 「彼居る?」もちろん居るさ、いなきゃ困る。 「ちょっと相談だけどね、」と私の事務所の前を通って奥へ消えた。
30分後にドアを押して出て行こうとする彼に私はにっこりと微笑んで「問題は解決しました?」と聞いた、マイクは、「解決しました」
そこで私は囁いた「請求書は後で送りますから?」それ以来マイクは二度と事務所へは来なくなった。その二ヶ月後に彼はコンサルタントを雇った。最初からそうすべきだったのだ。ただ乗りはいけません。
2007年12月6日木曜日
お隣さん ミッキー
赤毛の女性が大好きなミッキーは小規模な会社の半分オーナー。 彼は作る人。彼もドナルドと同じ精密機器の職人さん。設計と営業担当はイギリスから移住してもう二十五年、最近やっとアメリカ市民権を取る準備を始めたエンジニアーのマイク。彼が後の半分のオーナー。 この二人は水と油ほどの性格の違いがある。どうしてこの二人が一緒に仕事をするきっかけがあったのか不思議なのだが、半年ほど前にお隣の建物に入居して新しく特注カプリングの会社を設立した。
ミッキーは一日が終わると、子供が泥んこの中に横臥して遊んだように汚い。機械工だから汚れるのはわかる。しかし同じ機械工でもドナルドはあんなに汚くない。共に黒のT-シャツに黒のジーン。機械の前に立つときは野球帽をかぶる、細身で長身までは同じなのだが、ミッキーは違う、タバコを吸っても灰皿を使わない。彼が歩くとゴミが集まるっていう感じ。鼻髯にあごひげ。長髪。女性と話しをするときなどいともやさしげにニコニコするのだが、髯ボーボーのおっさんがニコニコするとニヤニヤに見えるから不思議だ。
週末に友人二人とミッキーはサン アントニオへ出かけた。帰宅途中昼食はファミリースタイルの食堂でと決め込んだ。皿の上に大盛に盛られた食事は中年以降の三人には不覚にも食べきることが出来なかった。そこへ店主のデブオバチャンがいつもの顔ぶれと違う彼らのテーブルへ挨拶に来た。ミッキーの肩に手を置き、食事はどうでしたか?とにこやかに聞く。 三人とも美味しかったと答えた、オバチャンは、皆さんまだ食事は終わっていないようですね?と皿の上の食べ残しを見る。あなた方アフリカでは、食べる物も無くて飢え死にする子供が現在も沢山居るのを知っていますか? とジローと三人を見る。 ここに食べ残された皿の上の食べ物で何人の子供が今日も生きられると思いますか?ジロー。こんなに食べ残して、あのアフリカの子供たちに申し訳ないと思いませんか ジロー。
やさしく諭されたテキサス男たちはシュンと悔恨の念に囚われ、背筋を伸ばして素直に「イエス マーム」と答え、目を白黒させてもう一度フォークを手にして自分たちの食べ残しを腹に詰め込んだ。大いなる人間愛、これぞまさにファミリーレストラン。
ネー、 自分たちが、食いたくないのに、腹に詰め込むことがどうしてアフリカの子供たちを助けることになるの? 毎日食事が出来ることを何故申し訳ないと感じなければいけないのかね。 アメリカの政府は、税金をガッポリとかき集めてアフリカなど第三国へ配っているのと違うの? 自分は、十六才から働き通しですよ。 休みなく働いて、 仕事をしなければ家族を養えないから。自分は一度も社会福祉へ援助を頼もうと考えたこともない。 俺アフリカの子供たちへ機械の使い方教えに行こうかな?そうすりゃ彼らももう飢えないだろう? そんなことをぼやきながらわたしの事務所のコーヒーを飲みに来る。自分たちの事務所では相棒のマイクの淹れるコーヒーが美味しくないのだそうだ。 それなら自分で淹れたら?というと、マイクが自分の淹れたコーヒーを捨てるとボヤク。ソレッテ、ミッキーもマイクの淹れたコーヒーを捨てるの? ウヒヒーと笑うミッキー。同意が出来ないのはコーヒーばかりではないのだが。
ミッキーは一日が終わると、子供が泥んこの中に横臥して遊んだように汚い。機械工だから汚れるのはわかる。しかし同じ機械工でもドナルドはあんなに汚くない。共に黒のT-シャツに黒のジーン。機械の前に立つときは野球帽をかぶる、細身で長身までは同じなのだが、ミッキーは違う、タバコを吸っても灰皿を使わない。彼が歩くとゴミが集まるっていう感じ。鼻髯にあごひげ。長髪。女性と話しをするときなどいともやさしげにニコニコするのだが、髯ボーボーのおっさんがニコニコするとニヤニヤに見えるから不思議だ。
週末に友人二人とミッキーはサン アントニオへ出かけた。帰宅途中昼食はファミリースタイルの食堂でと決め込んだ。皿の上に大盛に盛られた食事は中年以降の三人には不覚にも食べきることが出来なかった。そこへ店主のデブオバチャンがいつもの顔ぶれと違う彼らのテーブルへ挨拶に来た。ミッキーの肩に手を置き、食事はどうでしたか?とにこやかに聞く。 三人とも美味しかったと答えた、オバチャンは、皆さんまだ食事は終わっていないようですね?と皿の上の食べ残しを見る。あなた方アフリカでは、食べる物も無くて飢え死にする子供が現在も沢山居るのを知っていますか? とジローと三人を見る。 ここに食べ残された皿の上の食べ物で何人の子供が今日も生きられると思いますか?ジロー。こんなに食べ残して、あのアフリカの子供たちに申し訳ないと思いませんか ジロー。
やさしく諭されたテキサス男たちはシュンと悔恨の念に囚われ、背筋を伸ばして素直に「イエス マーム」と答え、目を白黒させてもう一度フォークを手にして自分たちの食べ残しを腹に詰め込んだ。大いなる人間愛、これぞまさにファミリーレストラン。
ネー、 自分たちが、食いたくないのに、腹に詰め込むことがどうしてアフリカの子供たちを助けることになるの? 毎日食事が出来ることを何故申し訳ないと感じなければいけないのかね。 アメリカの政府は、税金をガッポリとかき集めてアフリカなど第三国へ配っているのと違うの? 自分は、十六才から働き通しですよ。 休みなく働いて、 仕事をしなければ家族を養えないから。自分は一度も社会福祉へ援助を頼もうと考えたこともない。 俺アフリカの子供たちへ機械の使い方教えに行こうかな?そうすりゃ彼らももう飢えないだろう? そんなことをぼやきながらわたしの事務所のコーヒーを飲みに来る。自分たちの事務所では相棒のマイクの淹れるコーヒーが美味しくないのだそうだ。 それなら自分で淹れたら?というと、マイクが自分の淹れたコーヒーを捨てるとボヤク。ソレッテ、ミッキーもマイクの淹れたコーヒーを捨てるの? ウヒヒーと笑うミッキー。同意が出来ないのはコーヒーばかりではないのだが。
2007年11月30日金曜日
母の日 2
小春日和の真っ青な空の日曜日。 秋夫君は六時起床、一週間分の洗濯物を持ってコインランドリーへ向かう。 土曜日に友達と遊びに行き時間がなかった、 今朝洗濯を済ませなければ、明日から仕事へ来て着ていくシャツもパンツもない。
三台の洗濯機により分けて洗濯物を押し込み、 コインを入れてオン。アパートへ戻りコーヒーを入れて三十分待つ。 ランドリーへ戻り、大型乾燥機の一つ扉が開いているのを見つけ三台分の洗濯物全部を押し込んだ。コインを入れてオンのボタンを押して彼はランドリーを飛び出た。花屋へ向う仕事が残っている。そこにやはり母親のために花を買いに来ていた友人とバッタリ、話し込んで気がついたら九時半。あわててランドリーへ戻り乾燥機を開けた。 エッ、マサカ 冗談でしょう。
約束の十時に秋夫君は我が家のドアをノックした。 手には紫陽花の花の植木鉢を持ち、 「母の日おめでとう、車は昨日一応掃除しましたから皆様が座れます」とニコニコしている。
玄関前の陽のあたるところに立つ息子、後五分かかるから中へ入るように進めても此処で待ちますと動かない。準備の出来た主人が外へ一歩、息子をハグして慌てた、ナンダお前、ビッショリだぞ。シャツ、スラックス、靴下すべてずぶ濡れの衣類を着ている。ランドリーへ一時間後に戻ったが乾燥機が最初から壊れていたのだ。 扉を開けたら、洗濯物が全部下にうずくまっていたと笑っている。時間がもうない、T-シャツやブルージーンは山ほどあるが、まさかそれを着て教会へはまずい、仕方なくアパートへ持ち帰った衣類を見てしばし考えたが、エイヤーとその濡れたシャツを着て我が家へ来たというわけだ。
せめてシャツだけでも父親のシャツに替えたらと進める母親に、上が乾いてもスラックスが濡れていれば同じだ、このまま行こうと冷たい父親。新聞紙を座席に敷いて運転する息子が少し哀れであった。
ステンドグラスが綺麗な古い教会の中の冷房完備は抜群。 一歩御堂へ入ってヒヤーと冷たい風が天井から来る。祭日のミサは長い、今日は母の日ゆえ司祭も念入りの長い説教と聖歌隊の歌、次はお御堂びっしりと埋まった母親たち一人一人に司祭からカーネーションの花が手渡される。その時間の長いこと。 隣の息子の上に容赦なく吹き付ける冷房の風で彼は小刻みに震えている。時折立ち上がると、木の椅子の彼の座っている箇所が濡れて輪になっているのを見て直美が可笑しさをこらえて彼女の体も小刻みに震えている。
やっと終わったミサ、娘の提案で野外テラスのあるギリシャ料理の店と決めた。 陽のサンサンと降り注ぐ席で暑がりの主人は汗を流しながらの食事に店内に空席がありますけど移りますかと聞いてくるウエイトレスに主人は恨めしげに断っている。
食事が終わり、デザートは何が良いかとテーブルに来たウエイトレスが秋夫をジット見ている。少し間を置いて、彼女が息子に声をかけた、先ほどから気になっていたのですけど、 気分が悪いのですか?
「気分は悪くありませんと」と答える彼に、「あなたの体から湯気がたっているのですけど。」
それを聞いて私と娘の我慢が一度に爆発し大笑いとなった。 サンサンと降り注ぐ太陽の下に座る息子の衣類が一気に乾きだし、肩、背中といわず全身から陽炎にようにフワフワと湯気が立ちこめている。
三台の洗濯機により分けて洗濯物を押し込み、 コインを入れてオン。アパートへ戻りコーヒーを入れて三十分待つ。 ランドリーへ戻り、大型乾燥機の一つ扉が開いているのを見つけ三台分の洗濯物全部を押し込んだ。コインを入れてオンのボタンを押して彼はランドリーを飛び出た。花屋へ向う仕事が残っている。そこにやはり母親のために花を買いに来ていた友人とバッタリ、話し込んで気がついたら九時半。あわててランドリーへ戻り乾燥機を開けた。 エッ、マサカ 冗談でしょう。
約束の十時に秋夫君は我が家のドアをノックした。 手には紫陽花の花の植木鉢を持ち、 「母の日おめでとう、車は昨日一応掃除しましたから皆様が座れます」とニコニコしている。
玄関前の陽のあたるところに立つ息子、後五分かかるから中へ入るように進めても此処で待ちますと動かない。準備の出来た主人が外へ一歩、息子をハグして慌てた、ナンダお前、ビッショリだぞ。シャツ、スラックス、靴下すべてずぶ濡れの衣類を着ている。ランドリーへ一時間後に戻ったが乾燥機が最初から壊れていたのだ。 扉を開けたら、洗濯物が全部下にうずくまっていたと笑っている。時間がもうない、T-シャツやブルージーンは山ほどあるが、まさかそれを着て教会へはまずい、仕方なくアパートへ持ち帰った衣類を見てしばし考えたが、エイヤーとその濡れたシャツを着て我が家へ来たというわけだ。
せめてシャツだけでも父親のシャツに替えたらと進める母親に、上が乾いてもスラックスが濡れていれば同じだ、このまま行こうと冷たい父親。新聞紙を座席に敷いて運転する息子が少し哀れであった。
ステンドグラスが綺麗な古い教会の中の冷房完備は抜群。 一歩御堂へ入ってヒヤーと冷たい風が天井から来る。祭日のミサは長い、今日は母の日ゆえ司祭も念入りの長い説教と聖歌隊の歌、次はお御堂びっしりと埋まった母親たち一人一人に司祭からカーネーションの花が手渡される。その時間の長いこと。 隣の息子の上に容赦なく吹き付ける冷房の風で彼は小刻みに震えている。時折立ち上がると、木の椅子の彼の座っている箇所が濡れて輪になっているのを見て直美が可笑しさをこらえて彼女の体も小刻みに震えている。
やっと終わったミサ、娘の提案で野外テラスのあるギリシャ料理の店と決めた。 陽のサンサンと降り注ぐ席で暑がりの主人は汗を流しながらの食事に店内に空席がありますけど移りますかと聞いてくるウエイトレスに主人は恨めしげに断っている。
食事が終わり、デザートは何が良いかとテーブルに来たウエイトレスが秋夫をジット見ている。少し間を置いて、彼女が息子に声をかけた、先ほどから気になっていたのですけど、 気分が悪いのですか?
「気分は悪くありませんと」と答える彼に、「あなたの体から湯気がたっているのですけど。」
それを聞いて私と娘の我慢が一度に爆発し大笑いとなった。 サンサンと降り注ぐ太陽の下に座る息子の衣類が一気に乾きだし、肩、背中といわず全身から陽炎にようにフワフワと湯気が立ちこめている。
2007年11月27日火曜日
母の日 1
母親の居ない人間はこの世にありえないが、必ずしも誰もが「母の日」を祝うわけではないだろう。 私は子供の頃には頻繁に自分の小遣で買える範囲の小さな品を母に送っていた記憶はあるが、兄も姉もあまりそのようなことには関心がなかったようだ。最後にわたしが母に贈ったのが、和服用の草履だったのを覚えている。 もうその頃はサラリーをもらっていたので、結構高価なものが買えたのだ。しかし結婚後に遠くアメリカに住むようになり、自身が子育てと近場に居る姑への結構派手な母の日の祝い事に追われて、実家の母へは電話で話をするだけになっている。一二度花を贈ったが、 やはり遠い外国からの注文ゆえどんな花が届けられているのか皆目わからず、受け取った母から、 「もらった私が言うのは悪いけどね、もうあんなの止めなさいよ、あなたからの花腐っていたわヨ」と指摘されてから、あーもう止めたときめた。 しかしその頃から兄や姉の家庭では、子育ても終わり、老い始めた母への孝行が盛んになり始め、母の日や誕生日ともなると、兄姉が一緒に母を素敵なレストランなどへ招待をしている様子に、なんともはや置いてきぼりをされたような気分になる。
まだ学校へ戻るつもりの娘直美はアルバイト料をすべて貯めこむ。 決して無駄使いはせず、食料品の買出しもクーポン券を探して少しでも安値で買い物をする徹底派だ。 しかし、クリスマス、誕生日、母の日、父の日となるとこちらが気兼ねするほどの高価なプレゼントをくれる。 こんな散財は申し訳ないと言うが、本人はその為の貯金なのだと可愛いことを言う。
しかし息子は違う。 サラリーの全てが穴の開いた財布から出ていくようだ。この子はもしかしたら「金銭感覚脳障害症候群」かな?と心配したことがある。欲しい物があるとブレーキが利かない。 必ず手に入れる。 目的を決めると、一日缶詰めのスープ一杯の生活に入る。 一ヶ月でも二ヶ月でも、その間に酒もタバコも娯楽も一切ご法度。 本当に飲まず食わずの生活を自分に強いて目的額に向かう。達成後はその苦労の結晶がカメラ、ギター、コンプユーター、新開発のゲームにソフト、ゴルフ道具に釣り道具へと消える。
毎年「母の日」が来れば、息子も何かしようという気持ちはある。まだ幼い頃は父親が二人の子供を連れてデパートへ行き、彼らが品物を選び、支払いは父親に廻し、買ったプレゼントの包装に各部屋で悪戦苦闘していたものだが、家を出て、一人前に酒も呑む男にはそれは過去の話。
二年前は名も知らない大輪の花をプレゼントしてくれた。それも新聞紙に包んであった。 息子の住むアパートの隣の庭に咲いていたのだそうだ。 隣の奥さんが、好きなだけ切っていきなさい、きっとお母さん喜ぶわよと言ってくれたそうだ。 うれしかった、胸のうちでお隣の奥さんにわたしも感謝をした。
去年は一日中我が家で奉仕活動をしてくれた。 家中を掃除機で走り回り、お茶を入れてくれて、夕食の料理を妹と二人で準備して、終わりには皿洗いもしてくれた。
娘から香水を一瓶もらい、息子に料理をしてもらい、こんなに幸せな母親がほかに居るだろうか?
今年は息子から電話が入った。「ママ、母の日のプレゼントは何が欲しい?」どうやら今年は少し余裕があるらしい。 そうです、彼も今年は二十六歳。だがなけなしの財布をはたかせるつもりは母親には毛頭ない。
リッチモンド通りにある教会がラテン語のミサがあると知った私はその教会へ行きたいと話した。 家族みんなでミサへ出て、昼食はお父さんの支払いで一緒しよう。それを母の日のプレゼントにして欲しい。
「OK、ママとミサに与かればいいんだね? 簡単です。 何時に迎えに行けば良い?」
まだ学校へ戻るつもりの娘直美はアルバイト料をすべて貯めこむ。 決して無駄使いはせず、食料品の買出しもクーポン券を探して少しでも安値で買い物をする徹底派だ。 しかし、クリスマス、誕生日、母の日、父の日となるとこちらが気兼ねするほどの高価なプレゼントをくれる。 こんな散財は申し訳ないと言うが、本人はその為の貯金なのだと可愛いことを言う。
しかし息子は違う。 サラリーの全てが穴の開いた財布から出ていくようだ。この子はもしかしたら「金銭感覚脳障害症候群」かな?と心配したことがある。欲しい物があるとブレーキが利かない。 必ず手に入れる。 目的を決めると、一日缶詰めのスープ一杯の生活に入る。 一ヶ月でも二ヶ月でも、その間に酒もタバコも娯楽も一切ご法度。 本当に飲まず食わずの生活を自分に強いて目的額に向かう。達成後はその苦労の結晶がカメラ、ギター、コンプユーター、新開発のゲームにソフト、ゴルフ道具に釣り道具へと消える。
毎年「母の日」が来れば、息子も何かしようという気持ちはある。まだ幼い頃は父親が二人の子供を連れてデパートへ行き、彼らが品物を選び、支払いは父親に廻し、買ったプレゼントの包装に各部屋で悪戦苦闘していたものだが、家を出て、一人前に酒も呑む男にはそれは過去の話。
二年前は名も知らない大輪の花をプレゼントしてくれた。それも新聞紙に包んであった。 息子の住むアパートの隣の庭に咲いていたのだそうだ。 隣の奥さんが、好きなだけ切っていきなさい、きっとお母さん喜ぶわよと言ってくれたそうだ。 うれしかった、胸のうちでお隣の奥さんにわたしも感謝をした。
去年は一日中我が家で奉仕活動をしてくれた。 家中を掃除機で走り回り、お茶を入れてくれて、夕食の料理を妹と二人で準備して、終わりには皿洗いもしてくれた。
娘から香水を一瓶もらい、息子に料理をしてもらい、こんなに幸せな母親がほかに居るだろうか?
今年は息子から電話が入った。「ママ、母の日のプレゼントは何が欲しい?」どうやら今年は少し余裕があるらしい。 そうです、彼も今年は二十六歳。だがなけなしの財布をはたかせるつもりは母親には毛頭ない。
リッチモンド通りにある教会がラテン語のミサがあると知った私はその教会へ行きたいと話した。 家族みんなでミサへ出て、昼食はお父さんの支払いで一緒しよう。それを母の日のプレゼントにして欲しい。
「OK、ママとミサに与かればいいんだね? 簡単です。 何時に迎えに行けば良い?」
2007年11月19日月曜日
アクセント 2に対する投稿です
手負い虎さんからコメントの投稿です。ありがとうございます
ネットを通じ、ブログを通じ私の小さな世界が少しずつ広がっていくのがとてもうれしく思います。
「聞き覚えがありますなあ。その「英語には敬語がない」というの。日本の中学の英語の先生も生徒に言ってます。だから日本人の大半は、そうだと思っています。 実は私は、長いこと英語塾を開いて小中学生に英語を教えていましたが、学校の先生の言葉に反することなど教えると、日本の中学の先生、怒って、生徒を殴るんです。 紫のことをpurpleと教えたら、学校の教科書ではvioletだから、そんな似非英語使うなといって殴られて、私はとんでもないうそを教えるという評判が立って、どっと生徒が辞めました。 wouldとかcouldで始まる敬語なんか教えようもんなら、殺されますよ。だいたい日本語だって、敬語教えられる先生、いないんだから。」
手負い虎
ネットを通じ、ブログを通じ私の小さな世界が少しずつ広がっていくのがとてもうれしく思います。
「聞き覚えがありますなあ。その「英語には敬語がない」というの。日本の中学の英語の先生も生徒に言ってます。だから日本人の大半は、そうだと思っています。 実は私は、長いこと英語塾を開いて小中学生に英語を教えていましたが、学校の先生の言葉に反することなど教えると、日本の中学の先生、怒って、生徒を殴るんです。 紫のことをpurpleと教えたら、学校の教科書ではvioletだから、そんな似非英語使うなといって殴られて、私はとんでもないうそを教えるという評判が立って、どっと生徒が辞めました。 wouldとかcouldで始まる敬語なんか教えようもんなら、殺されますよ。だいたい日本語だって、敬語教えられる先生、いないんだから。」
手負い虎
夫の転勤で始めて海外へ
友人のフラホーキさんが「アクセント」への読後感想をコメントして下さいましたので皆様と分かち合いたいと思います。
夫の転勤で始めて海外(グアム島)へ住んだ時のこと。さっそく英語学校に通う。英語圏に住むからには、聞き苦しくない英語を使えるようになりたいと思ったからだ。“語彙の多さは教養の高さ”と先生に言われた。それからうん十年、我々はテキサスに暮らし、子供を育てあげ、老後を迎えた。英語では、どれだけ冷や汗をかき、顔を赤や青にしたかわからない。しかし日本人夫婦の間の会話は日本語だけなので、英語はちっとも上達しない。
長年私の髪の手入れをしてくれている美容師はタイ人だ。彼女はアメリカへやってきて結婚し娘一人をもうけた。その彼女は、年金がもらえる年齢に達したら故郷のタイに帰って暮らすと言っている。アメリカで受ける年金は、タイで老後を送るに充分な資金だ。アメリカ生まれの娘はタイには帰らないので、夫婦二人で帰るのだそうだ。
我々はどうしよう?
沢山の引き出しにしまっておいたはずの語彙は、齢を重ねるごとに消滅して行き、必要なときに見つからなければ、開き直って頭に浮かぶ限りの単語を並べまくる以外手はない。聞き苦しかろうがかまってはいられなくなったのだ。それなら最初から無理せず自国語でまかり通しておけば良かったというような気がする。カラースさんとアリキさんのように。しかし一方、その国の言葉を使えれば、生活をより一層楽しむことができるとも言われる。
我々夫婦が年金だけを頼りに日本で暮らすのは、絶対にできないことだ。それに、日本の教育を一度もうける機会が無かった二人の子供達は、日本の社会で生きて行くことはできないとはっきり言う。彼らにとってはアメリカが自分の国なのだ。カラースさんとアリキさんの二人の娘さんのように。そして、こうなったのも親の都合の結果だ。
我々は過去英語で苦心惨憺しながらも、そしてこれからますます苦労なことであろうが、二人の子供達がいるこの国で、明るく暮らして行くつもりなのである。他国に住むという
のは、誰にとってもそれぞれに本当に大変なことなのだ。目的を持って他国に住み始めたものの、長い年月の間にはその目的の変更を余儀なくさせられることが起こるし、そしてそれは起こってみなければ誰にもわからないのだ。
フラホーキ
夫の転勤で始めて海外(グアム島)へ住んだ時のこと。さっそく英語学校に通う。英語圏に住むからには、聞き苦しくない英語を使えるようになりたいと思ったからだ。“語彙の多さは教養の高さ”と先生に言われた。それからうん十年、我々はテキサスに暮らし、子供を育てあげ、老後を迎えた。英語では、どれだけ冷や汗をかき、顔を赤や青にしたかわからない。しかし日本人夫婦の間の会話は日本語だけなので、英語はちっとも上達しない。
長年私の髪の手入れをしてくれている美容師はタイ人だ。彼女はアメリカへやってきて結婚し娘一人をもうけた。その彼女は、年金がもらえる年齢に達したら故郷のタイに帰って暮らすと言っている。アメリカで受ける年金は、タイで老後を送るに充分な資金だ。アメリカ生まれの娘はタイには帰らないので、夫婦二人で帰るのだそうだ。
我々はどうしよう?
沢山の引き出しにしまっておいたはずの語彙は、齢を重ねるごとに消滅して行き、必要なときに見つからなければ、開き直って頭に浮かぶ限りの単語を並べまくる以外手はない。聞き苦しかろうがかまってはいられなくなったのだ。それなら最初から無理せず自国語でまかり通しておけば良かったというような気がする。カラースさんとアリキさんのように。しかし一方、その国の言葉を使えれば、生活をより一層楽しむことができるとも言われる。
我々夫婦が年金だけを頼りに日本で暮らすのは、絶対にできないことだ。それに、日本の教育を一度もうける機会が無かった二人の子供達は、日本の社会で生きて行くことはできないとはっきり言う。彼らにとってはアメリカが自分の国なのだ。カラースさんとアリキさんの二人の娘さんのように。そして、こうなったのも親の都合の結果だ。
我々は過去英語で苦心惨憺しながらも、そしてこれからますます苦労なことであろうが、二人の子供達がいるこの国で、明るく暮らして行くつもりなのである。他国に住むという
のは、誰にとってもそれぞれに本当に大変なことなのだ。目的を持って他国に住み始めたものの、長い年月の間にはその目的の変更を余儀なくさせられることが起こるし、そしてそれは起こってみなければ誰にもわからないのだ。
フラホーキ
登録:
投稿 (Atom)