2009年5月21日木曜日

手負い虎 さんが投稿「今 話題になっていること 2    つづき」にコメントを書き込みました。

コメントの仕方がいまいちわからないのですが、これはじゅんたろうさんに対するコメントでなく、革袋さんの本文に対するコメントです。

私は家族に変則的な生き方をしている人物を持っているため、あまり、この問題に関して、ものをいいたくはないのです。というのは、堕胎の原因や経過や結果や、その処置に関して、ものが言えるのは、その問題の真っ只中にいる人間のみで、よいとか悪いとか罪とか正義とか、客観的なことをいえるのは、ほとんど部外者だからです。

そして部外者の言葉は、どんな常識を掲げ、倫理を掲げ、正義を掲げた言葉でも、あらゆる神秘とあらゆる知識につうじていようとも、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、なる青銅のどらの音、やかましいシンバルの音でしかないのです。

堕胎をすることをたとえ「人間の法律」が認めても、または認めなくても、命に直接かかわった本人の心にとって、何の足しにもなりません。特に正義を掲げる男性の言葉など、傷ついた女性にとって無意味であり、命というものは、時の権力の座に着いた男性の、いかなる権限をもってしても、決定できるような対象ではありません。

堕胎をしてもいいとか悪いとか言う前に、誰が許可しようとしなかろうと、または人知れず闇に葬ろうと、裁ける人などいません。命とは、そういうものです。

いろいろなことがおきます。人間がこの世に生き始めてから、人は人を殺し続けてきたのです。堕胎反対とか言いながら、世界では大量殺戮に対して何の反対運動もしない聖職者だっています。命は女性の腹の皮1まいを隔てだだけで、どうのといえるようなものではないのです。

この問題、扱うのは不遜に思えます。






一滴です

確かに私は 不遜です。 不遜だからこそ 私の想いをブログに書く恥知らずなことをしています。 

>堕胎をすることをたとえ「人間の法律」が認めても、または認めなくても、命に直接かかわった本人の心にとって、何の足しにもなりません<

人間の法律が 許せば、歯止めが利かなくなることを嘆くのです。 現在のアメリカでは 十代の子供が妊娠し、 堕胎を求めたときは たとえそれが 未成年でも 親の承諾が無くても 始末が出来るのです。始末後にも女の子の親は知らされることはありません。 ちなみに 赤ん坊の父親も部外者に置かれています。 全て母親の意思1つで お腹の子は闇に葬られます。16歳、17歳の幼い子供が 産まれるかもしれない 人の命を闇に葬る自由と権利があることは 行き過ぎだとあえて申します。

この国では 貧困の人は 子供を産みます。 行政が母子家庭の保護を出すからです。 3人4人の父親不在の子供を抱える女性は沢山います。社会が育てるのと同じですね。 それはそれで良いと想います。

問題は 一般家庭の夫婦が 二人までは欲しいけれど、三人目は要らないとか、仕事が忙しいから 今は駄目とか 、遊びのつもりの結果とか、そのような 無論彼らしてみれば 眠れないほどの悩みかもしれません。 その時に その赤ん坊を闇に葬るか 否かの決断のときに 人間の法律により 歯止めが出来るとか、 その人の心に持つ宗教が歯止めになるとか、一時でも、人の命に付いて考える時間が与えられるのだと思います。  

私は 強姦被害者の妊娠、 体力の無い母体の妊娠、各々事情があるのを どれも駄目と反対するほどの冷たい人間ではないつもりです。ケースバイ ケースで世の中は 運営されることを願います。 
この国は一応キリスト教が主体による国と つい最近までは運営されていました。正直言って 現在はどの宗教が 母体となっているのか わからない状態です。 でも、宗教とは 従うことであり、 理論を唱えたり、 比較論を唱えるだけのものとは思いません。 頭で宗教を考えて、 イザ 試されるときに 

>命に直接かかわった本人の心にとって何の足しにもなりません<
もしそうだとしたら、あまりに虚しいです。 

>人間がこの世に生き始めてから、人は人を殺し続けてきたのです。堕胎反対とか言いながら、世界では大量殺戮に対して何の反対運動もしない聖職者だっています。<

もちろん そのような聖職者は沢山います。 一般社会の人にも沢山います。 政治家にも居ます。私の何の行動もしなかった一人です、 ですから 目の前の人が、遊びの結果の命を、私は戦争反対に立ち上がらなかったから、 アメリカの国の 大量殺人に反旗をしめさなかったから、闇に葬られる赤ん坊に何の意見も言えないとは思いません

>誰が許可しようとしなかろうと、または人知れず闇に葬ろうと、裁ける人などいません<

とは 私は思いたくないです。この問題に関しては 人が人を裁いているのではありません。 オバマ氏は 省令しているのです。 堕胎に援助金を出しているのです。 それを 政府が口を出すことではない。 国が省令することではないと声を出しているのです。
堕胎は 個人の意思です。 国々が行っている大量殺戮とは違います。
個人個人の考えで その殺人を止めることも出来るのです。

2 件のコメント:

手負い虎 さんのコメント...

「不遜」といったのは、オバマ大統領のことです。もっと頭にくると思うけれど、詳しくは、私の楽天ブログ参照。

じゅんたろう さんのコメント...

この場合男性は、---と考えています。苦しむのは女性ですね。男性はことさら偉そうに意見を述べる立場に在りません。わたしは四十から五十台にかけてS・マザー・テレサの下部組織のあるグループに参加しました。初めは東南アジアやインドなどの子供達の里親になる仕事でした。次に目を日本へ向けるとそれどころではありません。闇から闇へ葬られる子供達の多いこと、これは大人の都合なのです。
したことは私は自分の都合勝手です。一人の人が出来る範囲は知れています。けれども月の収入の殆どをつぎ込み堕胎寸前のこどもたちのためにやりました。家族からは「家の迷える子羊達のことも考えてよ」と非難を受けました。家内の苦しみも相当だったと思います。長男はいまだに私を許しません。
とてもすまないことだったと家族に思いをはせます。
自分のしてきたことが正しかったとは決して思いません。私がのめりこんだ十年か二十年のこと、家族の苦しみ以外、誰も記憶にないでしょう。今、祈りのうちに家族に対して悔悟の日々です。
けれども米大統領の発言や問題に無関心なわが国の政治家をはじめ多くの人々にあらためて「いのち」というものを考えてもらいたいのです。日本では裁判員制度が始まりました。
死刑判決にもその人たちの判断が求められます。私がキリスト者で在ろうと無かろうと人の「死」には関われません。そんな勇樹がありません。