2009年5月24日日曜日

陪審員制度 あれこれ

手負い虎 さん の コメント


追伸:私は日本の裁判院陪審制度は、失敗すると思います。理由は、

1)日本人は、いつまでたっても「お上」の意見を仰ぐ癖が直っていません。大樹の陰が好きです。しかもその大樹は、とりあえず、そばにいつ強そうな人ですから、始末におえません。

2)日本人は学校でも、実社会でも自分の意見をしっかり持つという訓練ができていません。信念に基づいてしっかりした意見を持つと、私のように、孤立して「孤高の虎」とかかっこいいことを言いながら、実は歯を食いしばって孤独に耐えなければなりません。私は小学校のとき、先生の目を見ろとか、正直にせよとか言われて、その通りにしたばかりに、退学になった人間です。そのこと、56年経っても忘れません。

3)日本人は情に流されやすく、「遺族の気持」とか言うものを、自分に信念がないもんだから、何よりも優先させます。そういう人間集団に裁判されたら、たまったものではありません。

4)日本は長いこと、裁判官は「お上」であったのです。「お上」意識の強い裁判官が、「下々」の陪審員の意見など、尊重するはずがありません。




じゅんたろう さんの  コメント


日本の裁判員に選ばれる人はそれほど法的知識があるといった人たちではありません。
私がある日突然選ばれるかも知れないのです。しかしよほどの理由がない限り拒否することが出来ないのだそうです。
たまたま今夜のニュースでアメリカにおいて過去25年間で130人の無実の人たちが処刑されたとの事です。日本での場合は公けにされていません。ある人は処刑された翌日に真犯人が判ったということでした。
人にとって一番苦しいのは自由を束縛されることです。「殺してくれー」と死によって苦しみから逃れようとする人の気持ちはどんなでしょう。人前にさらされる苦しみ、それも真犯人ならば受け止めるべきでしょうが、そうではない場合の苦しみはとても想像できません。
第三者の感情や付け刃の法知識で人の「死」を私が左右できるでしょうか?




一滴です


手負い虎さん、じゅんたろうさんの裁判員制度に対する懸念よ~く分かります。
私は基本的には 死刑は反対です。 それは やはり 「目には目を」の基本に戻るのではないかしらと思いますし、 それよりも「復讐」という観念があるようにも感じられます。人が人を裁くことは一般社会の中で日常茶飯事に行われていると思うのですが、如何でしょう?

しかし 世の中には どうしようもない極悪人が存在して、 10人、20人の人を残忍な方法で殺す連続殺人鬼もこの世に存在しますか。 そんな人が捕まると、正直云って、 3-4回繰り返し死刑執行を要求したいです。

じゅんたろうさんのおっしゃる通り無実の死刑判決も過去には たくさんあるようです。悲しいことです。でもそれは陪審員制度とか 裁判官による裁判とかは関係なく起きることではないですかね。 でも これからの社会では 科学的調査がすぐれていて、そのような間違いは極端に減るそうです。
しかし、 裁判は必ずしも 殺人犯ばかりではなく、 窃盗犯、詐欺犯、ありとあらゆることが毎日裁かれているわけで、 裁判官一人の偏見と社会への無知からなる判決もやはり怖いです。
少なくとも、アメリカの裁判官は弁護士や検事の先にある職種で 一般選挙から選ばれますから、日本の法曹界のようにキャリアー 組とかいう特殊な社会の人たちではないことは確かです。

手負い虎さんがおっしゃる
「日本人は学校でも、実社会でも自分の意見をしっかり持つという訓練ができていません」 

これはアメリカ式の陪審員制度には適した性格です。  結果的には12名の陪審員が 同じ結果を出すわけですから、 投票がまちまちですと 裁判が無効になりますから 意見は最終的に一致しなければなりません。 陪審員の評議の時に一人自分の意見に固執していれば 判決は出ず、二週間でも三週間でも長引くことになり、それだけ みなが自分の生活に戻れません。 勢い、 長いものに巻かれろで、 みなが同じ判決を出すというのが 現実らしいです。

アメリカでは 市民権を持ち、 投票権の登録をしている人には 無差別で誰にでも義務があります。 法的知識のあるなしは全く関係ありません。 外国人からの移民の人で 言葉の不自由な人にも責務はきます。 最近では 永住権はありますが、 市民権を持っていない私にも通知がこの二―三年来ていますから きっとアメリカも人を集めるのに苦労しているのかもしれません。  

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