2009年11月18日水曜日

人生いろいろ~世の中いろいろ

昨今の流れで 欧州および米国では キリスト教への批判が高まっている。 キリスト教と言ってもこれは カトリックが主体になって 反キリスト教的動きが大きい。
この米国でも 一般メディアとか 商業世界では クリスマスを ハッピー ホリデー と呼び変えられていることは以前のこのブログで書いた。
  
私自身は 5-6歳のときよりカトリックの社会に居たので、12月24日のイエズス キリストの生誕日をクリスマスとして祝ってきたことへ何の不思議も感じなかった。むしろ 実家の母が仏教的仕来りを一切家庭内に取り入れなかったことのほうが驚きであった。 
 仏教信仰の家庭に生まれ育った母が 三十代後半になって教育を受け始めたカトリックの信仰もまだ浅く、日曜日に時たま教会のミサへ行く程度の母が 町会内のお祭りの寄付が来ても、 お正月の門松の集金が来ても 「宅はカトリックですから」と断っていた。 そんな 過去への切り捨ての勇気と決断に頭が下がる思いだった。というよりも、 町内が祝う祭りへ参加が出来なかった事が幼い私たちの気持ちを暗くした。
いいよね、お母さんは子供の頃はとっぷりと日本の習慣を楽しみ、 子供たちへは苦もなくご法度の令を下す母へ心の中で恨んでいた。 

しかしここに訂正させて頂くが、 カトリックは 他宗教への心情は許されている。しかし私たちが教育を受け始めた頃は 神社仏閣への参拝などは 避けたほうが良いという誤解されて布教されていたのが残念である。 その人の気持ちがそう思うのであれば 参拝も良し、 寄付も良し、 ご焼香もありである。 実際そうあるべきだと思い。  他宗教を参拝したら自分の信仰が揺らぐのであれば そんな信仰はやめればよい。それよりも 他宗教への尊敬が持てなくて何がキリスト教だと言いたい。

しかし 私が育った頃の日本のクリスマスとは 「クリスマス デコレーシオン ケーキ」の一言に尽きる。白あり、水色あり(すいません あの頃は ブルーなんて言わなかった)丸いケーキの周りをヨーロッパの城のごとくにクリームで飾り付け、 なぜか ローソクが立っていたのもあった。

 ちなみに私は一度だけ あのケーキを食べたことがある。 カトリックを主張していた母なのに あのデコレーシオン ケーキは 決して買わなかった。 あれは 銀座で呑み歩いている父親族が ご帰宅のときに 子供へのお土産として 銀座の街角で買って帰る品なのだと説明された。 ゆえに 私たちの父親も一度だけ あの 「デコレーシオン ケーキ」を持って帰宅してくれた。 あの甘さは なかなかのものであった。 

米国に住むようになってから クリスマスの観念が180度変わった。 家族の集まりの時。 離れて暮らしている家族が帰宅する時。 豪華ではないが、 家族一同で 思い切り食べるとき。 それに伴う、 クリスマスプレゼントという 一年間の想いを兼ねた贈り物の季節となる。 日本のお中元、お歳暮、藪入り、正月が一度に来ると思えば簡単である。 もちろんその前に 感謝祭という 11月第4木曜日の祝日が来るが。

そのプレゼントを子供たちは サンタクロースという白い髭のおじいさんが持って来てくれることになる。 
娘が小学生の時に真に真剣な目をして 「ママ~ サンタクロースなんて本当は居ない。 あれは作り話だって 本当?」 と訊いたことがある。 さて困ったナ と思ったら中学生だった 息子が助け舟をだしてくれた。 「自分はサンタクロースを信じるヨ。 「サンタが居ると自分で信じるからサンタがプレゼントを持って来てくれるのでしょ」 「信じるから来るので 信じなかったら クリスマスなんて なくてもいいじゃない」 確かその年だったと思いう、 私たちの多忙から ツリーの飾り付けが遅れていたのを 息子に指摘された。 「早く飾らないと プレゼントを置く場所が無くて サンタが困るから」「If you believe it  will come」まさにこれである。

時々想うのだが、 たまたま巡り逢った恋人が離婚経験者で 二人の子持ちだった故に、その二人の子供を丸抱えで受け入れて、婚約したあの息子は かつて自分のモットーとしていた 「信じれば来る」の気持ちをまだ持ち続けているだろうか。
  
 
 

2 件のコメント:

あらま さんのコメント...

またまたお邪魔します。
小生は宗教のことは全く分りませんが、神も仏もサンタクロースも信じるものだと思っています。
信じていれば、たとえ故人であってもその人の心の中で生き続けるのと同じようなものだと思います。

さて、息子さん、婚約されたのですね。
おめでとうございます。
小生のところの愚息も先日、婚約しました。

ところで、10年ほどまえ、小生の従弟も2人の子供を持った年上の女性と結婚しました。
ところが、その従弟の母親、つまり小生の叔母はその結婚を今でも認めず、連れ子を孫とは認めようとしません。
結局、叔母はその娘さん夫婦を家に入れて継がせ、長男夫婦とは別居しています。
ところが、その娘さんの夫が家を出てしまったのです。
その夫は、婿に入るために結婚したわけではない・・・という考え方のようです。
なかなか叔母さんの思うように行かないようです。
そこで、その叔母さんが、長男のお嫁さんの連れ子を「サンタさんからの贈り物」と思えたら、素晴らしいと思います。

じゅんたろう さんのコメント...

心暖まるお話です。ブログの冒頭にありますように全世界でキリスト教、しかもカトリックに対する拒否感がつのっています。基本的に私は信仰はその人の生き方であると考えます。他宗教であろうと排他的であってはなりません。以前私が神戸にいました頃大阪の愛隣地区で食糧難が起こりました。イエズス会の神父がお一人で起こした「旅路の家」も例外なく困り果てました。私たちは近隣の方々へ一握りのお米の寄付をお願いするキャンペーンを教会学校の子供達としました。何と教会へはこれまで一歩も近づいた事はありませんがという方々からのご寄付が驚くほどありました。特に毎週土曜日、教会近くの真言宗の住職が四、五キロのお米をもってきて下さるのです。檀家の方々へ話した結果なのだそうです。
長男が小学生の時、修学旅行に行くことになりました。学校からの案内では伊勢神宮参拝でした。これまでの公立小学校では普通のことでした。ところが長男は学校へ抗議文を出しました。「僕はカトリックなので伊勢神宮へ行くことにちょっと考えます。別のところでだめでしょうか?」突然担任の先生が我が家へ来られそのことを知りました。それから学年全体で話し合った結果、愛知県犬山の「明治村」に変更されました。
この二つのこと、「こうでなければならない」と決め付ける私たちです。
キリスト教に対する世界の情勢は厳しいものです。でもだからといって他に迎合するのではなく、むしろ歴史ある伝統を内側から見直せば歴史の風雪に耐えてきた姿をあらためて感ずるのでは無いでしょうか。日本では0.01パーセントでしかないキリスト信者数です。当然多くを占める神道、仏教諸施設や信仰にやはり敬意や尊敬を払わ無ければなりません。そこには日本人の文化が染み込み息づき伝えられてきたからです。今こちらでは奈良興福寺の「アシュラ像」が爆発的人気を呼んでいます。アシュラとはアッキラ、アッチラ・・・そして日本語のアキラに変化しています。「光」と云う意味です。私は次男に命名しました。それほど心を打たれる造型だったのです。