2009年11月24日火曜日

じゅんたろう さんが投稿「あらま さんが コメントを 投稿」にコメントを書き込みました。

あらまさん、今日は、始めまして。いきなり異論で申し訳ありません。
1549年に聖サビエルが日本へキリスト教を伝えるまでこの国では「個人」という考えは認められなく下克上の世でした。
織田信長はそれを見ぬき、新しい日本を見出そうとしていたのではないかと考えます。伊達政宗においても然りです。天正の少年使節は1582年大友、有馬、大村の諸侯が教皇のもとへ使節を送り出しました。一人びとりが人として認識し始めたエポック・メイキングの時でした。
しかし士農工商の世になる手前戦国時代に突入しました。「寺請制度」はキリシタン排除のための戸籍法でした。
お説のようにキリスト教は「圧力団体」ではありません。自分たち信仰の自由を主張しているだけです。人権に対する訴えは圧力と捉えられるかも知れません。しかしカトッリクでは世俗の政治に関与することは禁じられています。
時代により私たちの考えは社会に反するようにも見えることが有ります。第二次世界大戦中、多くのキリスト者が迫害を受けました。それは人権を主張したからです。

ちなみに鳩山首相がモットーとしている「友愛」は"フィル・アデルフォス”と云うギリシャ語でペンシルバニアの首都フィラデルフィアを思い起こします。カトリックではないイギリスからの移民の先駆者ウイリアム・ペンが,命名したことですが当時の新大陸の状況を思い起こすと理解できます。

2 件のコメント:

あらま さんのコメント...

一滴さま。一滴さまのブログを読ませていただきますと、非常にのどかな、ほのぼのとした感じがします。
そこで、この場をお借りして、宗教について皆さまと議論することは、はたしてこのブログの趣旨と言いますか雰囲気にふさわしいものかどうかは疑問に思うところです。
ご自分が信仰している宗教の負の面をを暴露するような記事を見れば、誰でも嫌な思いをすると思います。
どうやら、小生はそれをしてしまったようです。
お気を悪くさせてしまったことを謝りたいと思います。
どうも、申し訳ありませんでした。

じゅんたろう さんのコメント...

追伸:50万人もの女性が東南アジアへ売られていったという話は、昔、堀田良衛という評論家が文芸春秋に寄稿していたのを思い出しました。しかしそれは「じゃぱゆきさん」や「らしゃめん」といったもう少しあとのことです。長崎が唯一の海外への交流の場になってからのことです。17世紀(1650)ですと日本の人口は僅か2,000万ほどです。キリシタン禁教の真っ只中で外海(そとうみ)へ出ることもまかりならぬ事情でした。大きな船を作ることは国内ではゆるされませんでした。
こっそりと?あの長崎の出島から50万人の人々が、どれほどの期間ででしょうか、出国できたでしょうか。
私の祖先は秋田佐竹藩のキリシタンでした。迫害が及び多くの志士達とルソンへ(フィリピン)逃れました。高山右近がかの地へ流されたのほぼ同時代の1614年頃だと思われます。非常に厳しく詮議され乗船を促されての当時です。しかしどのルートであったかは定かではありません。さて、一時ではなかったにせよそれほど多くの女人が売買されたでしょうか?当時すでに日本はとても農業が盛んになり人手が多く入用な時代になっていました。何しろ戦国時代です。男手は兵に摂られ僅かな田畑を守るのは女子供であったのではないでしょうか。