2009年11月21日土曜日

じゅんたろう さんが投稿「人生いろいろ~世の中いろいろ」にコメントを書き込みました。

心暖まるお話です。ブログの冒頭にありますように全世界でキリスト教、しかもカトリックに対する拒否感がつのっています。基本的に私は信仰はその人の生き方であると考えます。他宗教であろうと排他的であってはなりません。
以前私が神戸にいました頃大阪の愛隣地区で食糧難が起こりました。イエズス会の神父がお一人で起こした「旅路の家」も例外なく困り果てました。私たちは近隣の方々へ一握りのお米の寄付をお願いするキャンペーンを教会学校の子供達としました。何と教会へはこれまで一歩も近づいた事はありませんがという方々からのご寄付が驚くほどありました。特に毎週土曜日、教会近くの真言宗の住職が四、五キロのお米をもってきて下さるのです。檀家の方々へ話した結果なのだそうです。

長男が小学生の時、修学旅行に行くことになりました。学校からの案内では伊勢神宮参拝でした。これまでの公立小学校では普通のことでした。ところが長男は学校へ抗議文を出しました。「僕はカトリックなので伊勢神宮へ行くことにちょっと考えます。別のところでだめでしょうか?」突然担任の先生が我が家へ来られそのことを知りました。それから学年全体で話し合った結果、愛知県犬山の「明治村」に変更されました。

この二つのこと、「こうでなければならない」と決め付ける私たちです。
キリスト教に対する世界の情勢は厳しいものです。でもだからといって他に迎合するのではなく、むしろ歴史ある伝統を内側から見直せば歴史の風雪に耐えてきた姿をあらためて感ずるのでは無いでしょうか。日本では0.01パーセントでしかないキリスト信者数です。当然多くを占める神道、仏教諸施設や信仰にやはり敬意や尊敬を払わ無ければなりません。そこには日本人の文化が染み込み息づき伝えられてきたからです。今こちらでは奈良興福寺の「アシュラ像」が爆発的人気を呼んでいます。アシュラとはアッキラ、アッチラ・・・そして日本語のアキラに変化しています。「光」と云う意味です。私は次男に命名しました。それほど心を打たれる造型だったのです。







じゅんたろうさん  コメントありがとう

なるほど、 息子さんの 真剣な気持ち可愛らしいですね。 子供の頃の私もそうでした。 真っすぐ前だけ見て、 周りが少しも見えませんでした。 それゆえ、 小学校、中学の頃は「オマエはアーメンだ」と呼ばれましたね。 でも息子さんの学校側の理解には敬意を表します。

井上洋冶神父、(遠藤周作氏と共にフランスへ留学したカトリックの神父が書いた本です)
「法然 イエスの面影をしばせる人」とういうのがありますが、 その中で氏は キリストと法然の共通性を書いています。もうだいぶ以前に読みましたから 少し記憶が薄いですが。
同じ宗派でも お国柄が出てきて 少しずつ捉え方が違いますね。アメリカ人とお隣の国メキシコの人たちと又ヨーロッパの人たちの捉え方も私の目から見てですが 多少違うようです。宗教に対する生き方が違うのか、 心の中の神の位置ずけが違うように見えます。
 ですから 井上神父のおっしゃるように、日本に土着したキリスト教が出来てもよいはずだと思います。でも そういう事を言いながら、現在行われている カトリックの中で猛スピードに進んでいる刷新についていけずに文句を言う私が居るのですから 本当に矛盾しています。 ごめんなさい。  

 

1 件のコメント:

あらま さんのコメント...

日本には、土着したキリスト教はあると思います。
いわゆる「隠れキリシタン」ですね。
ひっそりと、でも確実にその信仰を伝えていると思います。
ところで一般に、キリスト教だけでなく、宗教を布教する宗教家と言う人たちは、軍事コンサルタントと言う一面があると思います。
それが、宗教戦争あるいはテロとして現れているような気がします。
それを見抜いた豊臣秀吉とか徳川家康が国防のために、キリスト教を排除し鎖国に至ったようですね。
さらに、それを徹底させるために寺請制度を設けて、檀家制度を敷いてお寺に農民の管理をまかせたわけで、結果的に日本の文化を守ったと思います。
しかし、そうした網をかいくぐって、日本固有のキリスト教が続いているような気がします。
それが、長崎の原爆の時に明らかになったようです。
そして現在、日本固有のキリスト教の人たちは、少数派にもかかわらず、いわゆる「圧力団体」として、政府などに「信教の自由」を強く訴えているような印象を受けます。
信じる者の強さを感じます。