2009年11月25日水曜日

じゅんたろう さんが投稿「あらま さんの コメントへ 投稿を書き込みました。」

追伸:50万人もの女性が東南アジアへ売られていったという話は、昔、堀田良衛という評論家が文芸春秋に寄稿していたのを思い出しました。しかしそれは「じゃぱゆきさん」や「らしゃめん」といったもう少しあとのことです。長崎が唯一の海外への交流の場になってからのことです。17世紀(1650)ですと日本の人口は僅か2,000万ほどです。キリシタン禁教の真っ只中で外海(そとうみ)へ出ることもまかりならぬ事情でした。大きな船を作ることは国内ではゆるされませんでした。
こっそりと?あの長崎の出島から50万人の人々が、どれほどの期間ででしょうか、出国できたでしょうか。
私の祖先は秋田佐竹藩のキリシタンでした。迫害が及び多くの志士達とルソンへ(フィリピン)逃れました。高山右近がかの地へ流されたのほぼ同時代の1614年頃だと思われます。非常に厳しく詮議され乗船を促されての当時です。しかしどのルートであったかは定かではありません。さて、一時ではなかったにせよそれほど多くの女人が売買されたでしょうか?当時すでに日本はとても農業が盛んになり人手が多く入用な時代になっていました。何しろ戦国時代です。男手は兵に摂られ僅かな田畑を守るのは女子供であったのではないでしょうか。

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