2009年11月22日日曜日

あらま さんが コメントを 投稿

日本には、土着したキリスト教はあると思います。
いわゆる「隠れキリシタン」ですね。
ひっそりと、でも確実にその信仰を伝えていると思います。
ところで一般に、キリスト教だけでなく、宗教を布教する宗教家と言う人たちは、軍事コンサルタントと言う一面があると思います。
それが、宗教戦争あるいはテロとして現れているような気がします。
それを見抜いた豊臣秀吉とか徳川家康が国防のために、キリスト教を排除し鎖国に至ったようですね。
さらに、それを徹底させるために寺請制度を設けて、檀家制度を敷いてお寺に農民の管理をまかせたわけで、結果的に日本の文化を守ったと思います。
しかし、そうした網をかいくぐって、日本固有のキリスト教が続いているような気がします。
それが、長崎の原爆の時に明らかになったようです。
そして現在、日本固有のキリスト教の人たちは、少数派にもかかわらず、いわゆる「圧力団体」として、政府などに「信教の自由」を強く訴えているような印象を受けます。
信じる者の強さを感じます。






あらま さん こんにちは コメントありがとう ございます


圧力を受けてこそ強くなる、そういう意味では 「隠れキリシタン」の強さは大変なものらしいですね。流された先の五島列島にいらっしゃるそうです。 ご両親が隠れキリシタンの末裔という方の話をサイトで読んだことがあります。
 お話によると、農家の方でしたが、 囲炉裏端で明け方の祈りからはじまり、 畑の中での昼の祈り、そして 夜も又 囲炉裏端での祈りは長く、 子供が眠くて体が二つに折れるほどにへたり込んでも、祈りはつづいたそうです。
なるほど、寺請制度ですね。 どの道何故か キリスト教というのは何処の国においても迫害の対象です。 日本しかり、 ローマ時代には 彼らはライオンに喰われていたのですからね。 そして屈強にも残った彼らが 中世期になると 十字軍とか、免罪符とか言っちゃって悪いことばかりしてました。 現在新教と言われる プロテスタントの方々は、ライオンに喰われていた頃の事は話題にせず、 そのあとの免罪符云々の時代を理由にして、 カトリックを忌み嫌います。 プロテスタントも結局は 元の幹は同じところから出て、すなわちご先祖様は同じなのですけど、ある日何処からか 降って湧いた宗派のような事を言いますよ。 アレ~ こんな事書いていいのかナ。 悪口はいけませんネ。

2 件のコメント:

あらま さんのコメント...

確かに、どの宗派も悪いことは言わないでよいことばかり言います。
日本でも、17世紀の初頭、キリスト教の布教を名目に、50万人とも言われる日本人女性がキリスト教宣教師らによって人身売買されたといいます。
当時の日本の人口は数百万人でしたから、スゴイ数の日本人女性が連れ去られたことになります。
日本人女性は「良質」ということで、人気があったようです。
(でも、こうしたことは教科書には載せられていません。)
そういうこともあって、キリスト教は日本から排除され、戸籍をしっかり徹底しようと、お寺が利用されたようですね。
アフリカの黒人奴隷も、宣教師らに騙されて欧米に売られていきました。
そうした意味では かつての『Roots』というテレビ番組は衝撃的でした。
つまり、宗教は「両刃の刃」と言うことになると思います。

・・・何か、スゴイ話になりましたね。
信じるものは救われるのか、信じるものは騙されるのか・・・
でも、小生は、喜んで妻に騙されています。
信じるものは、救われているようです。

じゅんたろう さんのコメント...

あらまさん、今日は、始めまして。いきなり異論で申し訳ありません。1549年に聖サビエルが日本へキリスト教を伝えるまでこの国では「個人」という考えは認められなく下克上の世でした。織田信長はそれを見ぬき、新しい日本を見出そうとしていたのではないかと考えます。伊達政宗においても然りです。天正の少年使節は1582年大友、有馬、大村の諸侯が教皇のもとへ使節を送り出しました。一人びとりが人として認識し始めたエポック・メイキングの時でした。しかし士農工商の世になる手前戦国時代に突入しまいました。「寺請制度」はキリシタン排除のための戸籍法でした。
お説のようにキリスト教は「圧力団体」ではありません。自分たち信仰の自由を主張しているだけです。人権に対する訴えは圧力と捉えられるかも知れません。しかしカトッリクでは世俗の政治に関与することは禁じられています。時代により私たちの考えは社会に反するようにも見えることが有ります。第二次世界大戦中、多くのキリスト者が迫害を受けました。それは人権を主張したからです。
ちなみに鳩山首相がモットーとしている「友愛」は"フィル・アデルフォス”と云うギリシャ語でペンシルバニアの首都フィラデルフィアを思い起こします。カトリックではないイギリスからの移民の先駆者ウイリアム・ペンが,命名したことですが当時の新大陸の状況を思い起こすと理解できます。
今、しっかりとした生き方もっている私たちが信仰の如何を問わず「真理が人々へ自由をもたらす」と声を上げたいのです。